国務省
皇紀2592年 4月30日 アメリカ合衆国 ワシントンDC
「あれを建造したのは実質的には日本だろう。条約逃れとは汚い真似をするのは実に日本人らしい」
国務長官ヘンリー・スティムソンは彼のオフィスで国務省の官僚たちを前にそう言い放つ。実態としてはまさしくそうであるのだが、まさかこれが廃棄戦艦扶桑と山城であることにまでは気付かない。
「長官、問題は日本が関与していること自体それそのものではなく、これが極東のパワーバランスを著しく損なうという問題です」
「事実、現在、英独が新鋭のスーパークルーザーを2隻ずつ上海と青島に配備し、正統ロシアを僭称する存在が日本の退役巡洋戦艦である旧伊吹・鞍馬を旅順に配備、そこに12インチ砲12門という我々のコンバットクルーザーを上回る艦をさらに配備したということは明らかに我がステイツに不都合であります……」
国務省高官らは海軍省から周旋を受け日本及び正統ロシアに枷を嵌める様に促されていたこともあり口々にパワーバランスの不均衡と脅威論を述べる。
国務省の高官らは海軍省からの周旋だけでなく、最近若手官僚たちの中で力を持ちつつあったチャイナサロンによる対日脅威論の伸長を真に受けているものも多く居たこともあり、海軍側のパワーバランス不均衡論はそれを裏付けるものと捉えていた節が見受けられる。
「最近、君たちは盛んに対日脅威を叫んでいるが、君らのそれとは逆に欧州では英独伊が対日融和に傾いている。特に日英印の貿易体制が著しく変化したことで日英の協調が日増しに強くなっているではないか?」
スティムソンは英米分断という状況を高官らに釘を刺す様に婉曲ではあるが牽制する。
「それは誤解でしょう。商務省が一部対日貿易に制限を課しているのは事実ですが、我がステイツとイギリスとの特に関係が悪化したという事実は見受けられません。至って良い関係というしょう……むしろ、日本とインドとの関係が悪化しているという話が出ているそうですな」
高官はスティムソンの危惧に明後日の回答をしてしまった。それどころか他の高官たちも楽観的な様子で日本を侮る様に笑っている。
彼らはスティムソンの苛立ちに全く気付いたそぶりを見せない。スティムソンは高官らの職務怠慢と対日脅威を煽っておきながらも日本への無関心ぶりにはいつものように苛立ちと怒りを隠すことが出来なくなり遂にキレてしまう。
「君らは一体何をしていたのかね? 君が言っていることは数ケ月前の話ではないか!」
見下し嘲笑していた高官らはスティムソンの一喝に黙ってしまった。
「君らはこの数ヶ月、怠慢を続け、日英印の関係改善を見逃したばかりかステイツの利益を損なう様な商務省の行動になんら掣肘することなく放置してきたのだな……」
スティムソンは静かに怒りを湛えつつもはっきりと彼らを断罪し始めた。
「日英印の貿易関係の問題はとうの昔に解決している。その結果、我がステイツは欧州向け、日本向けの原料輸出に大きなダメージを受けている。世界恐慌で唯一好調な経済を保っているのはどこか、誰に聞いてもわかるだろうに我々はその商売相手を失ったのだ……そして今やイギリスとインドは我がステイツの代わりにパートナーを得て、瞬く間に欧州だけでなく南米にまでその商圏に収めている……これが諸君や商務省の怠慢の他なんだというのだね?」
スティムソンの怒りは日頃まともな仕事をしないで日欧との亀裂を生むことしかしない国務省の職員が海軍省や商務省のお先棒を担いでいることに我慢がならなくなっていたことによるものであるのは間違いなかった。
また、史実におけるブロック経済化の先駆けになった問題を日本側があっさりと片付けてしまい貿易摩擦を事前に回避してしまったことでフラグ回避をしたことでアメリカのダメージが大きくなったのだ。
「何を言っておられるのですか、長官……日印通商条約の破棄はほぼ確実……これでインドから日本製品が駆逐されることで日本の貿易市場が減るのは必定……」
「そうですぞ、日印関係の悪化はそのまま日本の対英不信につながることで日英関係に隙間風が吹くことで日本が孤立化するのは間違いないのです」
なおも彼らは日英離間を信じてやまなかった。
「……そうか、そうだと良いのだがな?」
スティムソンは机の鍵付きの引き出しから封筒を取り出し、中身を机の上にぶちまけた。
「そこにある資料と報告はどう説明してくれるのかね?」




