大日本帝国と極東ロシア帝国と国際資本
皇紀2592年 4月30日 正統ロシア帝国
軍事的には必ずしも独立した存在とは言えない正統ロシア帝国ではあるが、経済においては亡命してきた白系ロシア人や白系ウクライナ人が主軸となり、旧帝国の財閥などがウラジオストクに集結したこともあり金融証券系を中心に興隆を始めていた。
製造業はやはりゼロスタートに近いこともありまだヨチヨチ歩きを始めた様なものであるが、金融や証券といったものは戦火や革命といった不安定要素から比較的安全と見られた地域に移ることで資本の安全を守る傾向があること、世界恐慌の中でも堅調な経済成長と旺盛な公共投資を行い常に資金を求められている大日本帝国に隣接する正統ロシア帝国という存在は都合が良かったのだ。
金融センターとしてはロンドンやニューヨークが地歩を固めているが、ロンドンは欧州大戦で、ニューヨークは世界恐慌とソ連との親交によって不安視する資本家や銀行家は多く居たのだ。
そんな中でも資本家たちの利益を守る様な振る舞いが多い(そのように彼らには見えた)大日本帝国と帝国陸海軍という後ろ盾がある正統ロシア帝国の経済的中心地ウラジオストクは非常に魅力的な都市であったのは間違いないだろう。
極東における金融センターであり、列強の富の集積地でもある香港、上海、天津、大連を実質的に守護する大日本帝国への国際資本の信用度は非常に高くなっていたのだ。相次ぐ支那動乱、満州事変によって地域覇権を確立し、守護責任を負うことが期待された大日本帝国だが、一部の政治家や軍人たちが欧州資本の参入を忌避したがそれを排し、囲い込んだ成果がここに出ていたのだ。
「満州や支那の利権は独占してもそれほど旨味がない。どうせ嫌われるなら欧州と一緒に嫌われて、一蓮托生になった方が良い。それに、一度手に入れた利権を手放すことを彼らがすると思うか?」
とは、有坂総一郎の言葉であるが、頑迷なアジア主義者などにはそれが理解出来なかったようで今でも時折帝国議会や新聞などで帝国政府の方針や有坂一派に属する財界人を糾弾することが多い。
彼らにとってはアジア人種は手を取り合って、もしくは文化的先達である支那人と協調して欧米と覇を競うという思想であり、道徳的な部分だけを考えるとそれを支持する民衆は多く居たことで、有坂コンツェルンは特に批判されることが多い。
時折、有坂コンツェルンと懇意である陸軍高官が一部の少壮軍人や右翼、国粋主義者に襲われるということが起きているが、その度に憲兵隊や内務省は取り締まりを行って過激派の勢力を削いでいたのである。
「尊皇討奸……君側の奸の排除……聞こえはいいけれど、まさか陸軍さんが右翼や国粋主義者にテロ攻撃を受けるとは皮肉なものね、旦那様も気を付けてくださいね?」
歴史の修正力というべきであろうか、それを感じずにはいられなかった有坂結奈はそう言って注意を促すが、当の本人はどこ吹く風である。
国際資本と大日本帝国との関係を裏で近づける歴史操作を地道に行った成果は有坂夫妻と東條英機少将などの一派によるものが大きい。その結果が、皇道派を皇道派として存在させることを出来なくしていたことが後に大きく影響するが、それは今の時点では皇道派の領袖である荒木貞夫中将らにもわかっていなかった。
兎にも角にも史実と違い、国際資本は総じて親日的である。これが東條=有坂一派にとって非常に重要なものであったのは間違いない。国際資本にとって重要な要素は何かといえば、強大な後ろ盾の元でメイクマネーが出来ることなのだ。
その点において満州で、沿海州で、朝鮮で、支那で、そして日本本土においてメイクマネーの絶好の機会を生み出し、それを後ろ盾してくれる大日本帝国とその衛星国である正統ロシア帝国は彼らの理想郷であったのは間違いなかった。
彼らが吐き出し投資した資本は日本企業とロシア企業の血肉となり、その利益を還元してくれる。大日本帝国の発行した国債に応じれば踏み倒すことなくキッチリと利払いも元本も保証してくれる。それがまた彼ら国際資本の血肉となり、新たな投資へとつながるのであった。
しかし、彼ら国際資本は同時に冷静な目も持っていた。アメリカ合衆国において発生した世界恐慌のように過剰生産、過剰投資が極東地域においても発生しないかということを注意深く見ていたのだ。
投資したらその分が返ってくる現状に彼らは深い満足感を得ていたが、一度植え付けられた恐怖とトラウマは彼らの心に根付いていて大日本帝国が発表する統計や企業の発表する決算書などを厳しくチェックしていたのである。
そんな矢先のイワンとニコライ事件であった。




