イワンとニコライ<1>
皇紀2592年 4月9日 ウラジオストク湾
ウラジオストク湾に2隻の巨大戦艦が姿を現した。書類上、列強海軍に存在していない戦艦である。この2隻の戦艦はイワンとニコライと仮称されている。
その偉容は一言で言えば流麗。無骨さ、黒鉄の城と形容される大日本帝国の戦艦とは異なるスマートさだった。
この戦艦が姿を現すまでわずか数日であった。数日前までは30m程度の高さがある艦橋構造物はこのウラジオストクにはどこにも存在しなかった。
30m程度の高さがある塔がドック上に聳え立ったかと思ったらあっという間に出渠し、その偉容を海に浮かべてしまったのだ。
時系列はそれから10年巻戻る。
20年代の軍縮条約によって大日本帝国は扶桑型戦艦2隻を退役させると発表した。その後、扶桑と山城の2隻は日本国内を離れ解体のため回航されたのである。
だが、その解体はある意味では軍縮条約に従ったものであった。だが、途中から解体工事は改造工事へと転換され、長門型を上回る3万8千トン規模の戦艦へと改装が始まったのである。
上部構造物は全てを撤去し、砲塔区画を艦橋が位置していた付近まで後退させると同時に艦体中央の延長工事が行われたのである。また、設計には史実の大和型に通じる航空機格納甲板と艦載艇格納庫が設置反映され、艦体構造は史実大和型に近いものとなっていた。
元々の長船首楼構造から天城型巡洋戦艦の設計思想を反映させたような中央船楼構造へと脱却させている。上甲板上に1番4番砲塔が存在し、最上甲板に2番3番砲塔が配置され、艦体中央部にあった旧3番4番砲塔は撤去され、ここに機関部が集約されている。また、煙突も集合型傾斜煙突とされ史実大和型に近いものがそこにはあった。より正確に言えば最上型のそれが近いだろうか。
撤去された14インチ砲は壱岐要塞、対馬要塞に集中配備されている。2隻分の12基24門もの砲塔型砲台が設置されたことは史実の41cm砲の転用のそれよりも圧倒的に数の優位性があり格段に抑止力が向上していた。
では、失った主砲の代わりはどうしたかと言えば、壱岐要塞、対馬要塞に配備される代わりにウラジオストクへ運び込まれた天城型巡洋戦艦4隻分の41cm砲であった。加賀型戦艦2隻の41cm砲は長門型へ積み替えされることとなり性能向上へ役立てることとなった。だが、天城型巡洋戦艦の4隻分40門の主砲はうち24門がウラジオストクへ運び込まれ3連装砲塔を新規設計した上で転用される時を待つこととなるのである。
この時点で41cm砲は加賀型の残4門、天城型の残16門の20門が存在していたがこれらは呉海軍工廠の倉庫に保管されている。これらの転用先は明確ではなく、海軍部内でも新型戦艦に用いる、金剛型に搭載する、長門型に砲塔増設で用いると色々な案が検討されている。
ただ、金剛型に転用する場合、所要32門となるため砲身の新造が必要となることからコスト面で難色が示されている。ただ、逆に陸軍側にしてみれば用途廃止になった14インチ砲を津軽海峡や宗谷海峡、北千島の占守島へ転用出来ることを考え新造砲身と交換を提案して来ていたのだ。
話をイワンとニコライに戻そう。
ウラジオストク湾に姿を現したこの2隻は10年近い期間をかけ、実質的に新型戦艦と言っても遜色ない実力を備えて再びその偉容を浮かべている。
この10年近い期間で扶桑型由来の欠陥構造や防御上の問題をほぼすべてクリアし、16万馬力という大馬力の機関出力へ換装され28ノットを発揮、尚且つ41cm砲を12門搭載する世界最強の戦艦へと生まれ変わったのである。
イワンとニコライにはロシア帝国国旗が便宜上掲げられているが、その乗組員は明らかに日本人であり、そこかしこで飛び交う掛け声も日本語であった。
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