テツたちの野望<2>
皇紀2583年8月19日 関東州 大連
有坂総一郎は、色々なことに嫌気がさして満州は大連へ逃避行に出てしまった。
「陸軍のごり押しにはもう関わりたくない!」
滞在先の大連ヤマトホテルの一室で彼は妻に向かってそう言った。
実際問題、有坂家の家計は問題ないとしても、有坂重工業とその関連企業の陸軍関係事業は赤字スレスレであり、次に陸軍が無茶難題や無理を言ってきたら完全に赤字になる水準であった。
さすがに経営者として、これを容認出来ず、関東大震災に巻き込まれることを避ける目的もあり、彼らは大連まで来ていたのだ。
「元々陸軍さんに売り込みをかけたのは旦那様自身でしょうが……何を今更……呆れましたわ」
彼の妻である結奈は有り得ないという表情で手を上げ頭を横に振った。
彼女は身重の身であり、付き合わされて迷惑だとその顔には書いてあったのだ。
「いや、だってさ、東條さんがあんなに強引だとは思わなかったんだよ? というか、東條さんとの付き合いはあの人が押し掛けてきたことから始まってるから私に責任はないと思うよ」
「そうね、でも、旦那様、東條さんの協力要請を断ったでしょう? あれは不味かったのではなくて? きっと根に持たれているわ」
「……うっ……、それは……だが、あの時は仕方ないさ……永田鉄山と決別している東條英機という存在が陸軍でどこまで影響力を持てるかなんて未知数だよ。それに彼はまだ少佐だよ? 時期尚早だと判断するしかないよ」
「ええ、それはわかるわ。でも、仲間だと思って頼ってきたのにあの態度はないと思うわ……だから、東條さんがらみの案件は彼の意趣返しも含んでいるのでしょう……それでも、あの方はあなたを、旦那様を頼りにされていると思うわ……その気持ちを踏みにじってはいけないわ」
結奈の言葉が総一郎の心に次々と突き刺さるのであった。
総一郎も東條の信用と信頼を理解していないわけではないが、史実とは異なる彼の立ち位置と統制派の不在という状況では深い付き合いをしてよいものか判断が付きかねている。
とは言うものの、頼られて悪い気はしないし、東條の持ち込む案件は総一郎にとっても介入すべきものと考えているものばかりだ。結果、なんだかんだで付き合いが深まってしまっていた。
「それで、大連まで来て旦那様は何をしようと考えているのかしら?」
結奈は総一郎をこれ以上困らせても仕方ないと思ったらしく話を変えたのであった。
大連に以前来たときは単身であり、結奈は連れてきていなかったこともあって結奈は震災避難だけが目的ではないことに気付いていた。
「あぁ、先日、満鉄の島さんから電報が届いてね……至急大連に来られたし……って書いてあったなんだよ。それで、こうして大連まで来たわけだ」
「去年会われた方ですね……また、鉄道関係で何かなさるおつもりなのかしら? 今度は新幹線でも造るの?」
さすが転生を繰り返してもついてくる高性能レーダーを搭載した嫁だ。鋭い感覚をお持ちの様である。
「島さんに……まだこの世界では誕生していないけれどあじあ号の機関車を越える高速機関車を依頼している……あとは満州の油田探索……」
「……はぁぁ……」
結奈は大きな溜息を吐く。
「今度はあじあ号を自分の手で創り出そうなんて……どこまで自己顕示欲と浪漫溢れる方なのかしら……」
「そんなに褒めるなよ……照れるだろう?」
「褒めていません!」
「まぁ、それは冗談として……」
「冗談に聞こえないのだけれど……まぁ、いいわ……その高速機関車、満州では今は必要がないでしょう、何に使うの?」
結奈はジト目をしながら話の続きを促した。
「関東大震災で帝都は焼け野原にならなくても、家屋倒壊で結局は更地になる。それを活かしてインフラの再開発をする。その主軸が鉄道の改軌による輸送力とスピードアップだ……そのための機関車だよ」
「……それって、蒸気機関車の新幹線……弾丸列車構想と何が違うの?」
結奈はまた始まったと心底呆れたという表情になった。
結奈の表情に総一郎は少し心が折れそうになるが続けた。
「違わない。だが、今しかチャンスはない。今を逃したら貧弱な狭軌のままだ。それは戦時体制だけでなく、経済成長させるのにも不都合なんだ。だからこそ、推し進めないといけない。そのための高速機関車だよ」
「そう、わかったわ……あなたのことだから、島さんだけでなく改軌派の人たちと話はついているのでしょう? 陸軍さんのごり押しも酷いものだけれど、テツのごり押しも同じくらい酷いものだと改めて気付かされたわ……」
「そうかな?」
「そうよ……どこかの誰かさんは震災を出汁に自分の野望を実現するつもりでいるのだから……」
「……」
総一郎は結奈のダメ出しに黙らざるを得なかったのであった。




