ファンタスティック!クレイジー!
皇紀2592年 1月1日 出雲
31年12月28日、有坂総一郎は妻結奈他家族とともに東京駅から出る夜行急行列車に乗って島根県玉造温泉を訪れていた。年末年始を玉造温泉で過ごし、初詣を出雲大社でするためだ。
鉄道省による列島改造はいよいよ大詰めを迎え、主要幹線、地方幹線は既に改軌が済み、地方線区への改軌工事が順次進んでいた。これによって東京駅発の各地方への直通列車が増発され、特に夜行列車の需要は拡大していた。
特に鉄道省とジャパンツーリストビューローが打ち出した国内観光旅行振興と外国人観光客誘致という国内需要の喚起、外貨獲得というそれによって地方の観光地への輸送力強化が図られ、帝都-地方直通の急行列車が増発に次ぐ増発で活況を呈していた。
列車の増発で各鉄道車両メーカーは受注数が拡大し、また木製車両から鋼製車両への転換が進められていたこともあり、鉄鋼メーカーも設備増強、生産拡大を進めるという好循環が景気を下支えしていたのであるが、これら新造された客車の中でも優等客車は冷暖房完備であり三等車であっても扇風機を標準装備して設備面での革新も進んでいた。
これら新造車は主に東海道・山陽本線に集中投入されていたが、伊勢神宮参拝や出雲大社参拝を主目的とする帝都-現地直通の一部の急行・夜行急行にも充当され、旅客サービスの向上に寄与していた。
特に鉄道省と競合関係にあり、大阪-伊勢直通化を達成した大阪電気軌道と参宮急行電鉄は直通用に投入した参急2200系電車の増備とともにダイヤ改正を実施、登場時2時間45分かかっていたそれを大幅に速度アップし2時間丁度にするという大胆な動きを見せたのである。
それだけでなく、鉄道省基準での一等車準拠の装備を備えた観光特急を増発したのである。それも鉄道省の大阪-伊勢間の二等車料金相当という運賃設定を行い真正面から堂々と宣戦布告したのであった。
この様な鉄道省と大軌グループのサービス向上合戦は他の私鉄にもまた影響を及ぼし、帝都近郊においても同様であった。新宿から小田原を結ぶ小田原急行電鉄は箱根登山鉄道の箱根湯本までの直通運転の実施とそれに新型車両を導入、”ロマンスカー”を謳う特別急行の運転を開始していた。対面式二人掛け座席を有するこの車両は新宿‐小田原をノンストップ90分で走り抜け、箱根まで2時間台で到着するものだった。
そして、総一郎らが乗車した東京発大社行きの夜行急行も鉄道省の威信を象徴するかのような装備を整えていたのだ。
一人用、二人用、四人用区分室(寝台付き)を備え、2段式開放寝台を標準としていた。座席車もシートピッチは余裕があるものとし特別急行と同水準のものが使われていたのである。史実における北斗星やトワイライトエクスプレスに相当する装備と言った方がわかりやすいかもしれない。
装備の豪華さもあり旅行客だけでなく、名士の往来にも人気があり彼らはリピーターとなって乗車率を引き上げていた。
無論、これを鉄道省に製造させる様に唆したのは総一郎であり、意外なことに結奈もまたこれに加担していた。そう、結奈が積極的に関与していたのである。それどころか、列車内における営業権を得ていたのである。
「マジでやるの?」
総一郎は結奈の構想を聞いたとき思わずそう聞き返したのである。
「ええ、やるわ。手応えは感じているもの。当たらないはずがないわ」
「いや、だが……」
「日常の中に非日常を……それがコンセプトよ」
彼女の目は本気であった。
「お…おぅ……」
決して高いわけではないリスクに頑として拒否の姿勢を示す理由はないが、だが、総一郎は聞き返さずにはいられなかった。
「本当にやるのか? 今ならまだ冗談で済ませる……が……」
総一郎は再度引き留めようとしたが、そこにあったのは謎の使命感に燃えた伝道者のそれだった。
「ええ、やるわ」
もはやそれ以上に言葉を続けることが出来なくなった総一郎は「正気か?」と困惑の表情を浮かべることしか出来なかった。
そして彼女が監修し、彼女が設立した食堂車事業会社による車内営業が開始されたのであった。外国人乗客には恐ろしい程好評なサービスとして有名になり、彼らは口々に「ファンタスティック」だの「クレイジー」だのと騒いでいた。
逆に国内的に見れば神社関係からの苦情が度々届くことになり、また内務省からも改善要求が行われた。だが、一般的には乗客にとっても余興の一環と好評であり、鉄道省は適宜問題があれば対処するということでその苦情を全て無視し続けたのである。
そう、彼女が始めたのは巫女居酒屋だった……。いや、居酒屋というのは不適当だろう。
食堂車の隣に連結した多目的車両という名目のロビーカーで毎夜夜通しで神楽が舞われ、御神酒という名目で酒やつまみが振舞われる(無論有料)というものだ。
イメージとしては高千穂の夜神楽を列車内でやっているというものだろう。鉄道省もこれに手応えを感じていることもあって、地域ごとに同じコンセプトのものをやれないかと検討していることもあって結奈は上機嫌であった。
そして、彼女は自身がプロデュースした夜神楽列車に乗る機会がなかったこともあって初詣に行くついでにそれを楽しもうと考えたこともあり、家族で出雲へ行くことになったのであった。




