とある王位継承者の帰還
皇紀2591年 12月1日 モンテネグロ
イタリア軍は担いだミハイロ1世とともに11月28日にツェティニェへ入城した。旧モンテネグロ王国の旧首都であったツェティニェは経済の中心地となったポドゴリツァと違い歴史的な首都として存在していたこともあり人口も少ないため存在感が薄いが各国の旧大使館など残り首都としての体裁は整っていた。
だが、ミハイロ1世の入城はけして旧モンテネグロ国民にとっては必ずしも歓迎されるべき出来事ではなかった。1918年にセルビアとの統合、二コラ1世の廃位を宣言したポドゴリツァ議会に与した者たちにとっては復讐される恐怖が現実化したからである。
王家を自分たちの都合で追い出したにも関わらず頼っていたユーゴスラヴィア王国が事実上崩壊し、セルビア王家と王党派、軍部、人民解放戦線が三つ巴の泥沼内戦状態に陥った今、旧モンテネグロ国民はセルビアを頼って落ち延びるか、旧王家及び王党派の復讐を受け入れるか、熱心な王党派として振舞うかいずれかを選択することを迫られていた。
事実、自己保身に走った市民はボドゴリツァ議会と関係があった人間を私刑を加えたり、焼き討ちをするなどといった事態が各地で頻発していたのである。無論、自己保身ではなく、略奪目的で無関係な人間を巻き込むということも頻発し治安は急速に悪化していたのである。
「私は復讐などを望んでいるわけではない。ただ、故国に再び戻り国民とともに歩んでいきたいのだ……我が国民が互いに傷つけあうことなど望むなどありえない」
ミハイロ1世はツェティニェの市庁舎で演説をすると進んで国民との対話の機会を作ろうという姿勢を見せる。故国の荒廃した姿に心を痛める彼の姿勢は旧首都の住民には伝わったが、仲間割れを起こしていたボドゴリツァでは誰も信じられなくなっていた民衆に伝わることはなかった。
この間もイタリア軍はカッタロに続々と上陸し、モンテネグロ全土の掌握を進めていた。だが、そこで遭遇するのは疑心暗鬼によって目に映るものすべてが敵でしかないゲリラやパルチザンだった。いや、最早それらですらなく、山賊の類というべきだろうか。
峠で襲われるのは日常茶飯事、主要街道筋の森林地帯もまた至る所で山賊化したユーゴ兵やパルチザン崩れが根城としていることもありイタリア軍の占領統治は思いの外苦戦しているのであった。
一番の問題は相手しているのが山賊なのかゲリラなのかパルチザンなのかそれすらもわからないということだ。装備では勝ち目がないことをわかっているが、隙を作ればどこでも襲ってくるゆえに彼らの精神的な余裕はとうに失われてしまっていたのだ。
「空軍に森林を焼き討ちにするように命じよ!」
現地部隊はツェティニェやボドゴリツァに進駐した空軍に出動を依頼したのである。
「敵が出没しそうな森を焼き払って敵を追い詰めよ」
戦死者こそ少ないが戦傷者や精神的にやられた兵士が相次いでいることに前線司令部も業を煮やしていた。傀儡国家を築こうとしているのにその国民を傷つけるのは不味いという判断だけは残っていたが、倒れていく戦友たちのことを思うと一矢報いなければ気が治まらないとろこまでストレスがたまっていたのである。
「天候が回復次第、モンテネグロ北部の森林を焼き討ちせよ、片っ端から焼き払え」




