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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2591年(1931年)

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オホーツク=カムチャツカ鉄道

皇紀2591年(1931年) 8月15日 極東シベリア


 史実よりも急速に建設が進んでいるバイカル=アムール鉄道。沿海州などが大日本帝国の庇護下にある正統ロシア帝国の領するところとなり、シベリア鉄道本線はスコヴォロディノで分断されていたことでオホーツク海へと抜ける新規ルートをソヴィエト連邦は必要としていたのである。


 無論、オホーツク海へ抜けるルートというのは一面的な見方であるのは言うまでもない。本質的な要求は日本及び正統ロシアとの決戦に向けた主補給線の開設である。


 だが、意外なことにこの鉄道建設に一枚噛む勢力が存在していた。アメリカ民主党の最有力馬であるニューヨーク州知事フランクリン・デラノ・ルーズベルトとその一派であった。


 彼は翌32年の大統領選挙に向けて財界向けへのアピールもあり、西海岸からの対ソ輸出の強化を政策の一つとして提唱、実際に資金を集めルーズベルト・ロシア財団を設立、国交のないままソ連に投資していたのである。


 思わぬところからの支援を受けた形となったソ連政府は現地ジューコフ軍主導であったバイカル=アムール鉄道の建設を国家直轄事業として国を挙げての建設へとシフトしたのである。


 ルーズベルト・ロシア財団から全米の鉄鋼メーカーに機関車とレールを始め鉄道施設用の大規模発注が行われ、順次西海岸から発送されペトロパヴロフスク=カムチャツキーに次々と荷揚げされていた。


 31年8月現在はシベリア鉄道本線をタイシェトから分岐した後、ブラーツクを経由しウスチクートまで延伸しているが、ここからの工事は地形の問題で難航している。スイッチバックやオメガループによる山越えが必要となるセベロムイスキー山脈が工事の最大の難関であるからだ。


 この山越えをするためのセベロムイスキートンネルが建造された史実でも77年着工、完工2001年という26年もの長い工期は難工事のそれを示しているが、工事の難易度だけでなく、気象条件や地震の多さ、そしてソ連崩壊という悪条件が揃いも揃った結果である。


 もっとも、セベロムイスキートンネルが出来るまでの間のスイッチバックやオメガループによる代替線は存在していたが、それも結局は輸送上の隘路であり、最大でも1日に14便程度しか通過出来ていない。


 ゆえにここが最大の難工事であり、ボトルネックであるのは変わらない問題であったのだ。だが、それをものともしないのが社会主義の計画経済、国家のためには血を流せである。


 富農大粛清によって反対者や粛清対象がベルトコンベア式にシベリアに送り込まれ日々斃れていっているのである。だが、それが故に建設の槌音は止まらない。月月火水木金金である。いや、それどころか朝も昼も夜もない。文字通り24時間365日フル営業である。


 西からは人民の波で建設が進むが、逆に東からは機械の波で建設が進んでいた。米西海岸から到着し、ペトロパヴロフスク=カムチャツキーに荷揚げされた鉄道関連資材と建設機械は猛然と西進を開始していたのである。


 カムチャツカ半島東海岸にあるペトロパヴロフスク=カムチャツキーから西海岸のオタチャブリスキーの約200キロがまずは第一期工事として進んでいた。建設重機によって山を切り崩し、築堤を建設、極力最短距離での建設であった。


 また、この時点で米国企業団は米国基準による標準軌で建設を開始していた。これは自国の標準的機関車を活用出来、コストダウンを図れることから推し進めていたのである。これにはソ連鉄道人民委員部が難色を示していたが、ソ連書記長ヨシフ・スターリンの鶴の一声で米国基準で構わないことになった。


「バイカル=アムール鉄道とすぐに連結出来るわけではない。数年先の心配よりも建設が進むことの方が先である。それよりも、同志らは足元の心配をしたらどうかね? 同志らが提案して建造しようとしている機関車はどうなのかね?」


 スターリンの言葉にソ連鉄道人民委員部の面々の表情はそれで固まった。実用的機関車であるFD形は試験が行われいる最中であり、配備には今少し時間がかかること、開発を進めているAA20形は米国視察、ドイツクルップ社との調整によって投入時期は未だ不透明な状況であったのだ。


 これによってアメリカ主導のオホーツク=カムチャツカ鉄道は標準軌採用、アメリカ製機関車及び客貨車の採用、アメリカ式鉄道制御の採用が決まった。この際、米国企業団の出資割合は総計6割、ソ連側4割の合弁という形に収まったのであった。


 また、カムチャツカ半島に鉄道建設が行われたのは他でもないルーズベルトの意向であった。表向きは冬季でも流氷による港湾凍結の影響が最小限であるということ、太平洋に面していることでアメリカ漁船団の基地になるという理由であった。だが、ペトロパヴロフスク=カムチャツキーの港湾施設の将来的な租借と飛行場の建設などもパッケージとなっており、明らかに対日戦略を考えての布石であったのだ。


 航空機の発展それそのものはあまり意識していなかったのだが、飛行艇による千島列島及び北海道方面への哨戒が可能であるこの地の重要性をルーズベルトは海軍次官であったことで認識していたのだ。


 ルーズベルトとスターリンのそれぞれの思惑が一致しているとは思えなかったが、明らかに二人の指導者は対日戦略を見通して動いていたのである。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 北方の重要度が爆上げやないか。
[一言] オホーツクとカムチャツカ半島辺りで赤色の化学反応が起きてて草。 絶対樺太と千島が前世以上に血まみれになってアイヌの人達の影が薄くなるフラグじゃないですかヤダー!
2020/06/02 15:10 退会済み
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