真の狙い
皇紀2591年 7月10日 ユーゴスラヴィア ベオグラード
かつて国境はドナウ川・サバ川であったが、旧帝国の崩壊によってヴォイヴォディナが失われドナウ・サバ線から遥か100kmまで後退することとなった。
だが、ハンガリー軍の攻勢は遂にかつての国境であったドナウ・サバ線まで達するに至った。
サバ川とドナウ川を渡った北岸地区にはベオグラード新市街が存在していたがここにおいて激しい市街地戦が数日後に繰り広げられることとなるが、新市街前面まで達したハンガリー軍はヴォイヴォディナ各地で取り残されている残党を始末しながら前進してくる他の部隊が到着するまでの間、塹壕を掘り戦線の維持を図っている。
塹壕の構築と同時に遅れて到着した砲兵が砲列を展開すると新市街方向への砲撃を開始する。この時に事前警告付きで無差別砲撃を行うと明言していたこともあり、新市街から市民の避難は出来ているとハンガリー軍は認識し砲撃を開始したのであった。
だが、まさかここが戦場になると思っていなかった市民やハンガリー軍の呼びかけを無視し、パルチザン抵抗を考えていた者たちが新市街には存在しており、容赦のない面制圧砲撃によって跡かたなく吹き飛ばされてしまったのである。
この時、ユーゴ軍は旧市街にある競馬場と森林公園に重砲を展開し、新市街に進出してきた敵を同じく面制圧砲撃を加えんとしていたのである。また、新市街の失陥と放棄は確定事項であり、市民の退避が出来ていようがいまいが考慮に入れていなかった。
両軍の思惑によって数百人規模の市民とパルチザンが犠牲となるのである。
ハンガリー軍の行動は明らかにベオグラードの陥落を目指していたものであり、総力を挙げている様に見えたのだが……それは結果から言えば見せ掛けであった。6月30日から始まったベオグラード新市街における砲撃合戦は両軍の後詰が到着したことで激しさを増していた。だが、明らかな異変がそこで進行していたのである。
7月7日に至り、新市街が灰燼に帰す頃にはドナウ川とサバ川にかかる橋が全て落ちてしまっていたのだ。また、埋もれていた伝令の中にいくつかの重要な情報が紛れていたことが10日になって判明してきた。
「ドナウ川にかかる橋梁が全部落ちているだと?」
ユーゴ軍司令官は参謀たちが仕分けした情報で重要度が低いと認識されたものの中に橋梁の喪失というものが混ざっていることに気付いたのである。
「他にも同様の情報が紛れているかもしれん、戦場以外の橋についての情報を精査しろ、いや、斥候を出して確認させよ」
彼の判断は正しかった。
各地に斥候が放たれ、彼らが情報を持ち帰った頃には全橋梁喪失が判明し、同様に渡船もすべてが焼き討ちもしくは沈められドナウ川を渡る手段が何一つ残されていないことが判明したのであった。
「してやられた……敵の狙いはベオグラードではなく、我が軍をセルビアに押し込めて身動きできないようにする事だったか……」




