天城進水
皇紀2583年8月13日 横須賀軍港
この日、海軍横須賀工廠第2船台において建造中の巡洋戦艦天城が進水した。進水式には海軍大臣加藤友三郎以下海軍の重鎮が勢揃いし、皇太子摂政宮臨席の下、盛大に挙行された。
史実においては進水間近まで工事が進んでいたが、関東大震災により、船台上の盤木が崩れ、船体が転覆、竜骨が折れたことで修復困難となり解体処分され、進水後係留されたままであった戦艦加賀が空母改装され代艦となった。
しかし、裏で暗躍する二人の人物によって天城の工事速度は史実以上に進められた。
その人物の名は平賀譲海軍少将、有坂総一郎という。
彼らの目論見は天城を喪失することなく戦列に加えることであり、そのために各工廠から工員を引き抜き横須賀工廠に手当てし、給与の上乗せ、24時間体制の突貫工事、先送り出来る工事は省略することで工数を削減したのであった。
この突貫工事の成果が史実と異なり、大震災前に進水式を迎え、竜骨損傷という致命的損傷を回避するという結果をもたらしたのであった。
平賀は進水式の招待客として式典に参加していた総一郎を見つけると呼び止めた。
「有坂君、探したぞ!」
「少将、御無沙汰しております……間に合いましたね」
「あぁ、なんとか間に合わせることが出来た……だが、問題はこれからだ」
彼らの計画ではあくまでもこれは第一段階でしかない。彼らの真の狙いは進水式を越えてから先にあるのだ。
「海軍省や艦政本部と掛け合ってはいるが、装甲空母の話はまだ難しい……なにしろ、航空機というもののそれが連中には理解出来ていないからな……」
「それは仕方ないですよ……本来であれば、赤城や加賀で試行錯誤して蒼龍、飛龍を経て翔鶴型に至っているのですから……それを後出しじゃんけんで大鳳型を最初から造ろうとしても上手くはいかないでしょうね……」
彼らの半年前の会談によって生まれた装甲空母という概念は未だに海軍上層部には理解出来ない代物であった……。世界初の本格空母である鳳翔が竣工してからまだ半年しか経っていない現状では仕方がないことである。
初の着艦は2月に英国の元士官が、そして3月には吉良大尉がそれぞれ成功したばかりであり、運用されている航空機も一〇式艦上戦闘機という複葉機である。この状況で理解しろと言っても無理なのは平賀も総一郎もわかっていたことであるが、それでも彼らは諦めきれないのである。
「今は鳳翔と一〇式艦上戦闘機だが……いずれは2000馬力級の発動機を搭載した高速大重量の搭載機が運用される……その時には搭載爆弾も500kgや800kgが普通になるだろう……そうなれば、それに耐えうるようにしなければならない……それこそが装甲空母だ……」
「ええ、少将は私の簡単な説明でそれを理解されましたが、さすがにこれは時機を改めねばなりませんね……」
「うむ……先に航空機の方で手を打つべきかもしれんな……そうなると……三菱か中島か……」
「発動機の信頼性は三菱ではないかと……機体設計と量産性は中島でしょうか……」
彼らは計画の方向性を修正することで装甲空母という超弩級戦艦同様に男の浪漫を掻き立てるそれの実現につなげようと企み始めたのであった。




