八九式重擲弾筒
皇紀2591年 5月3日 イタリア王国 タラント
4月6日に徳山沖を出撃した遠洋演習艦隊は4月30日にはタラント軍港に入港、投錨していた。
イタリア海軍による観艦式同然の歓迎とタラント市民の歓迎式典に帝国陸海軍の将兵は驚くと同時に本国では滅多に食することがないイタリア料理によるもてなしに心躍ったのである。
特に陸軍将兵は普段から質素な食生活であることもあり、下士官以下の兵たちは涙を流しワインに酔った。だが、その翌日には規律正しい様を見せ、北清事変などで欧州に広く知られる姿を見せタラント市民の称賛を得ていた。
内湾であるマーレピッコロを挟んでタラント軍港と向かい合うブッフォルト地区にある演習場を間借りし、中欧派遣軍は1週間の習熟訓練が行われるのである。
とは言っても、船上において彼らは市街地戦や建物内戦闘の訓練を繰り返していたのであるが、野戦になると1ヶ月の間行っていないこともあり、勘を取り戻すためのものである。
使い慣れた三八式歩兵銃を持ち込んでいることもあり、欧州特有の地形での行動パターンを覚えることさえ出来れば彼らが戦うに困る要素はそれほど多くはない。
火砲は多く持ち込むことが出来ないため……牽引するトラックや馬匹が限られることもあり、支援火器としては擲弾筒と擲弾を支給している。特に採用間もない八九式重擲弾筒は重点的に量産を行い、火砲を運ばない分、八九式榴弾を大量に積み込んでいたのだ。
軽迫撃砲並みの攻撃能力を有する八九式重擲弾筒&八九式榴弾の組み合わせは兵士が持ち運び可能でありながら絶大な威力を発揮することが内地での演習で判明していたことからメイン支援火力として中欧派遣軍の任務と実情に合っていると判断されたのだ。
運搬効率が落ちるとしても、一人で運搬、組み立て、攻撃を出来るメリットは大きく、機関銃部隊と協調する場合、大きな支援攻撃戦力として運用が出来るのが陸軍上層部にとっては魅力的であったのだ。
「大量に揃えることが出来て、トラックも馬も要らん、しかも迫撃砲より軽いのに同じ火力! こんな素晴らしいものがあるなら迫撃砲要らないんじゃない?」
とは上層部の声であるが、当然現場からは異なる声が上がる。
「冗談じゃない。理想的な兵器であることは認める。だが、本来、支援火力は支援火力としてちゃんと整備するのが筋だ! いくら代替できるとは言えど、まともな火砲を寄越せ!」
当然である。あくまでもニッチな兵器だ。本来の支援火力を補うものであって、主任務にはならない。
だが、用兵側も現場側も上層部も軽くて安くて揃えやすい兵器を否定する理由はなく、火砲の補助として予算的に回ってこない内地留守部隊には大量に装備されていた。無論、関東軍など前線部隊にも大量に送られているが、ここでは魔改造された多連装重擲弾筒が拠点配備されているという摩訶不思議なことが発生していた。




