中島知久平の誘い
皇紀2591年 4月18日 群馬県 太田
有坂総一郎は東條英機少将とともに太田にある中島飛行機本社を訪れていた。
数日前に職務怠慢の罪で東條の大目玉を食らったばかりの総一郎は流石に反省の意を示そうと真面目に仕事していますよアピールをしていたが東條はそんなものには騙されないと視線は厳しい。
太田駅前から中島飛行機差し回しの社用車で本社工場へ向かう頃には総一郎の化けの皮は剥がれており、東條は呆れの視線で仕方ないと諦めていた。
「閣下、会長、お待ちしておりました。さぁ、こちらに……」
出迎えた中島知久平が先導し連れていかれた先は発動機製作工場であった。そこにはずらっと並んだ完成済みの新型発動機があった。
そこに居並ぶ発動機は皆、出荷待ち状態になっており、「陸軍省技術本部検査待ち」「海軍省航空本部承認済み」と表示された札が吊るされていた。
「どうです? 社内試験を全て通過した新型発動機の『光』です。9気筒でありながら30リッター台の排気量で三菱が開発した14気筒の金星より少しではありますが排気量が大きい優れものです」
史実において光(ハ8)は31年に開発を開始し、34年に実用化した9気筒発動機の決定版ともいえる発動機である。
史実においてライトR-1820サイクロンを手本としている開発が進められ、ライト側の了解なしで開発が進められたことで一部ライトの権利を侵害していた部分があったことでパテント問題を引き起こしライセンス契約時に一騒動を起こしたことでも有名である。
だが、この世界における光はR-1820ではなく、基本的にはブリストル系の技術系譜に属し、寿をベースとしたボア・ストローク延長仕様に近い。無論厳密には相当な相違があるが、開発時期的にR-1820の影響はほとんどない。あるとしても、R-1820の技術系譜の一つ前になるP-2を研究しているという点で一部共通する技術があるというくらいだろうか。
史実において寿の後期モデルは重量過大等で失敗していたが、ブリストルとの技術協力、工作精度の向上などによる影響からそう言った問題は発生せず、光の開発にも影響は出なかったのである。
しかし、R-1820が史実通り31年に生産を開始したこともあり、中島飛行機はライセンス生産権を取得する方向で動いている。
「寿よりも約9リットルの排気量拡大による効果は大きく、馬力も改良を重ねれば1000~1200馬力を出せると考えています。現状では850馬力。戦闘機に積むならば高速性能を発揮すること間違いないですな……尤も、当面は爆撃機需要でしょうが」
中島は自信満々の表情である。
史実光は770馬力が最大であったことを考えると現時点で1割増の850馬力であれば、R-1820の1200馬力には及ばないにしても1000馬力は堅いのではないだろうか。
「光の開発が思いの外順調に進みましたから、我が社も現在は14気筒に取り組んでいます。三菱には負けていられません。当初は実績のある寿を7気筒化し、複列にした14気筒で試作を進めています。目標は1000馬力。上手くいけば改良を前提とするのですが1500馬力まで出せるという試算はありますが、まぁ、ここは理論上ですから……今後の研究と素材開発によりますがね。ですが、我が社の技術者たちは欧米を追い越せる発動機の基礎になると息巻いていますよ……社内名NALと言います」
NAL……後にハ5、ハ34系列に連なる発動機が開発段階にあったことは東條にとっては嬉しい誤算だった。これの開発が進むことで比較的早期に1500馬力前後の発動機を得ることが出来るからだ。
開戦前の段階で実用状態にあった1500馬力前後を発揮出来る唯一の発動機がNAL-ハ5-ハ34の系譜だったからだ。三菱の火星も同時期に開発されていたが、ハ43に1年以上遅れての採用であったことから、比較的早期にこれが実用化されることで1500馬力到達が早まることはありがたいものであった。
史実において三菱系発動機を敬遠する陸軍側としては中島飛行機が同種の発動機を開発先行することは自由度が広がることを意味している。
「中島社長、NALの開発に総力を挙げていただきたい。いずれ、大排気量・大馬力発動機こそが我が帝国の命運を左右するようになる。その時にこのNALとその派生型が大きくモノを言うだろう。あなたが言う様に高速性能と大火力を発揮する戦闘機……これが必要になるだろうからね」
東條は中島に訴えかける。
「来年には試作機が出来るだろうから、そこから技術的な熟成を含めて33年の春までには形にして見せましょう……ただ、陸軍さんにはそれなりに協力をいただかなくては……東條さん、期待していますよ」
中島が手を差し出すと東條は固く手を握る。
「お二人にはまだ見せたいものがいくつかありましてな……今度はこちらです」
中島は上機嫌で工場内の案内を続ける。そこには中島の誇りと信念、そして未来が詰まっていたと総一郎は感じたのであった。




