お仕置きタイム
皇紀2591年 4月15日 帝都東京
欧州動乱を引き起こした元凶である有坂総一郎は他人事のような表情で新聞記事を読み飛ばしていた。
「思いの外ハンガリーがいち早く動いたなぁ……しかし、あの国、ドイツと同じで軍備制限あったのに外交でカバーするとは……英雄ってのはやはり格が違うんだねぇ……まぁ、英雄なんて帳尻合わせで登場すると日頃から思っているが……」
感心と呆れが混ざったそれであるが、ハンガリー王国の動きは確かに見事の一言である。
ハンガリー王国は欧州大戦後のゴタゴタによって共産化、ルーマニアの侵攻と受難が続き、トリアノン条約によって敗戦処理が確定したが、二重帝国時代の領土の7割を失い、軍備制限を掛けられ、更に小協商というハンガリー包囲網を周辺国が結ぶという状態だった。
だが、情勢はハンガリーに味方したのだ。ルーマニア国境付近にソ連赤軍が展開を始めたことで欧州大戦後得たベッサラビアを巡っての国境紛争が始まりそうな状況となったのである。流石のルーマニアも二正面作戦をする余裕はなく、ハンガリーにトランシルヴァニア問題を棚上げすることを条件に対ハンガリー包囲網から手を引いたのであった。
ソヴィエト連邦はルーマニアのベッサラビア併合は無効であり、固有の領土の回復を求めると声明を発したことで一触即発になったことからトランシルヴァニアなどに配備されていた軍もソ連国境へ移動を開始させたことでハンガリーの孤立状態は解消されたと言っても良い。
そこに国際大義を盾にイタリアが大英帝国とフランス・ドイツを誘い、チェコスロヴァキアに圧力をかけたことも大きい。流石にベニート・ムッソリーニ、機を見るに敏であると言える。彼の周旋は特に大英帝国世論を動かしていたこともあり、チェコスロヴァキアは見捨てられたと言っても良かった。
この状況をにはハンガリー外交官の活躍があったのは間違いない。スイス・ジュネーブや在ブダペストの各国大使、海外駐在の大使・総領事・領事らの赴任国で働きかけを続けていた効果が大きく影響を与えていたが、それらを的確に指示を与えていたミクローシュ・ホルティ王国摂政の指導力は侮れない。
「……旦那様、ハンガリー王党派に資金供与していたのお忘れかしら?」
これまた呆れと諦めの表情で腕組みをしている才媛がそこにいた。
ヘルマン・ゲーリングへの資金供与と同時期にハンガリー王党派へもまた資金供与を行っていたが、ハンガリーの影響力など知れていると考えた総一郎はいつしか忘れていたのである。だが、資金は継続的に流れていたこともあり、文字通り塵も積もれば山となるといった状態になったと言えるだろう。
「だから、仕事してくださいませ! 貴方が余計なことを始めたおかげで欧州支社から報告と決済の山が届いているのですけれどね? それと、午前中に終わらせると約束いただいた書類、一枚も……たった一枚すら終わってないのはどういうことでしょう?」
書類を受け取りのため執務室に入って来た妻であり秘書にして執行役員である有坂結奈の額には血管が浮きヒクついている。まさに最近流行りだという悪役令嬢とかいう代物の邪悪な笑みに近い微笑みを浮かべている。
「あぁ、うん、終わる。終わらせる」
「へぇ……あと30分でこの書類の束を片付けて下さると?」
結奈の口角はさらに吊り上がる。
「どうして、あなたは私が席を外すとサボり始めるの! あぁ、もう……アルテミスさんみたいにぱっぱと片付けてくれれば誰も困らないというのに! いいでしょう、あなたがそう言う態度なら、私にも考えがあります……」
結奈は受話器を取るととある場所へ電話を掛ける。
「お世話になっております。ええ、有坂の妻です。はい、閣下に伝言をお願い致します……お仕置きが必要になった……ええ、そうです……そうお伝えください……閣下はそれですぐにお解りになりますので……ええ、ありがとうございます……では、また後日、伺う際には何卒主人、そして有坂社員をお引き立てくださいますよう……」
電話を終えると満面の笑みを浮かべて彼女は言い放つ。
「覚えておいてくださいね……あぁ、それとあと25分で午前は終わりますから、早く終わらせてくださいね……それと午後も大量の書類がありますから……あと、あなたの昼食を用意してきますわ」
極上の笑みを浮かべた彼女の瞳どこまでもフラットで物騒なことを言ってから執務室から出ていった。




