大角の狙い
皇紀2591年 4月6日 徳山沖
徳山沖において給油作業を終えた艦隊が出撃の時を待っていた。どの艦も缶が焚かれ錨を上げるのを今や遅しとしている。
遠洋演習艦隊と名付けられたこの艦隊には帝国海軍の新鋭艦が揃っていた。それは見せることを意識したと言って良いものである。
金剛型巡洋戦艦2隻、加賀型航空母艦2隻、古鷹型軽巡洋艦4隻、夕張型軽巡洋艦1隻、特型駆逐艦12隻、川南型タンカー4隻、合計25隻の艦隊である。
方面艦隊としては十分な戦力であるこの艦隊の本来の目的は航海演習などではなく、実戦である。当初、海軍大臣大角岑生は濱口雄幸大蔵大臣に艦隊派遣は考えていないと答えてはいたが、その実、艦隊派遣の準備はその殆ど終えており、タンカーの調達すらも手配済みであったのだ。
五相会議の後、宇垣一成陸軍大臣から陸軍部隊の後詰を護送して欲しいと依頼を受けるといくつかの条件を出してそれを認め、演習艦隊が途中まで護送するという名目で派遣を承諾したのである。
「宇垣さん、今回のことは貸しですから、海軍が困った時に協力していただけますかね? 陸軍さんと違って海軍は羽振りが良くないですから、是非頼みますよ」
「何を仰いますか、羽振りが良いのは海軍さんではないですか? 各地の造船会社が海軍省に頻繁に出入りしていると聞きますぞ?」
「おや、それはお互いさまではないですかな? どこぞの政商と陸軍さんは懇意だそうではないですか」
陸海軍ともに予算の奪い合いをするライバル関係である。また、軍需企業とはズブズブである。表に出せないカネの動きはいくらか存在する。
「……欧州の一件が片付きましたらご協力しましょう……」
お互いに暗黙の了解による利害の一致を見たことで大角は軍令部へ陸軍側からの依頼を受けたことと陸軍割り当ての重油が譲渡されたことを伝え、陸軍船団の輸送作戦実施を要請したのであった。
軍令部側も事前に大角から陸軍船団の護衛依頼が来るだろうと聞かされていたこともあり、すぐに動かせる艦を徳山沖に集結を命じていたのである。
3日の夕刻には概ね艦隊の集結が完了し、順次給油が進められていたこともあり、海軍大臣、軍令部総長の連名による出撃準備命令が下ったのが5日の午後一番であった。宮中における御前会議が終わった5日夕刻に正式に出撃命令が下り、6日夜の出撃となった。
出撃前の大わらわな時間であるが、帝都から大角と軍令部長谷口尚真が揃って旗艦金剛に乗艦してきたことで作業はストップしたが滞りなく全作業が進んでいることもあり、大臣訓示と軍令部長訓示を全員で傾聴することとなったのである。
「諸君らが欧州アドリア海に到達したらば、友邦イタリアが歓迎してくれることであろう。だが、そこからが本番である。無論、陸軍将兵を無事に彼の地へ送り届けることも重要である。だが、恐らくは、ユーゴスラヴィアとの交戦状態になるだろう。その際には陸軍部隊が上陸を敢行、それに合わせて敵地への艦砲射撃による援護、航空母艦の艦載機による敵情偵察と航空支援が行われることになろう……だが、それこそ、起きて欲しくはないが、次なる戦争に対する知見となる。諸君らにはその先鞭となってもらいたい」
大角の訓示は簡潔であった。艦隊の行動目的と実施される作戦、それらを伝えたことで艦隊乗員の表情は引き締まった。常在戦場……演習にして演習にあらず……それを理解したのである。
「長期の航海となる。異国の文化や習慣に戸惑うこともあるだろう。だが、海軍軍人はスマートであれ。本来はよその家のお家騒動であり、介入などするべきではないと本職は考えるが……帝国の国是は八紘一宇……列強たるその役割を果たせとのことである……諸君らには恥ずることなき働きを期待する」
谷口は陸軍や大角に引きずられる形での欧州介入に懐疑的であったが、政治的判断というそれに従うことにしたという言い回しであった。
訓示を終えた後、金剛艦内の長官室において艦隊司令長官であり、先日まで軍令部次長であった永野修身中将は大角と谷口に対面している。
「大臣、部長……此度の出撃は博打ではありませぬか? この欧州騒動、本来我が帝国が介入すべきことではないでしょう。海軍は慣例通りサイレントネイビーで政治一任でしたが、言うべきことを言わなければ陸軍に引きずられて破滅しかねないのではないですかな?」
「これは陸軍に恩を売り、貸しになるからこそ受けたのだ。そうでなければやらん。それに欧州の問題を欧州人が解決出来るならとっくに解決しておるさ。出来ないからこそ、バルカン半島が欧州大戦前夜よりも危険な火薬庫になっているのだよ」
永野の懸念に大角は答える。無論、横にいる谷口の表情は硬く不満で満ちている。
「なんにせよ、今回の欧州騒動で列強は敵に回ることはない。まぁ、合衆国は欧州の安定を望んでいないだろうから何か仕掛けてくるかもしれんが、我が帝国海軍以上に連中の兵備は整っていないからな……どのみち実効性のある行動はしかけてこないだろう」
「訓示にもありましたが、陸上への艦砲射撃、航空支援……これは明らかに太平洋もしくは東南アジアへの武力侵攻にも応用出来るそれになるでしょうが……大臣は将来の日米開戦や英蘭との戦争も考えておるのですか? そうでなければ、敵地侵攻能力を備えた艦隊派遣は道理に合いませんぞ」
「帝国国策遂行綱領にある通りだよ……それ以上でも以下でもない。欧州大戦で大英帝国はガリポリ上陸戦で失敗しているが、当時と違い、今は艦隊からの航空支援も可能になっている……いずれにせよ、今回の任務で我々帝国海軍が得るものは大きいだろう」
大角の目は永野を見ている様ではるか遠いものを見ている様であった。永野はそれに気づくとそれ以上は何も言えなかった。そして谷口は大角の示すものに複雑な表情を見せるだけで聞かれたことだけ返答するだけであった。




