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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2591年(1931年)

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オーストリア騒乱<5>-another view IJA-

皇紀2591年(1931年) 3月12日 大日本帝国


 オーストリア騒乱の黒幕である有坂総一郎は30年2月の若槻演説という仕込みを行った後、オーストリア王党派、ハンガリー王党派に資金援助を行うことで政治勢力としての影響力を増す様に工作を続けていた。


 元々、ヘルマン・ゲーリングを通じたナチ党勢力拡大工作と並行して行っていたものであるが、オットー皇太子の成人というタイミングに合わせて若槻演説によって列強の一角、世界三大海軍国である大日本帝国が公式に中東欧の問題に介入すると明言したことは若槻・ムッソリーニ会談という経緯でイタリア王国の支持を得て、日伊両国の支援による王党派の動きは活発化していたのである。


 また、31年1月には欧州の小火器及び火砲の評価を行うという名目で1個旅団をイタリアに派兵し、イタリア軍を相手に演習を行うと声明を出し、2月中旬に遣欧教導旅団がヴェネチアに上陸したのである。


 尤も、遣欧教導旅団がヴェネチアに着いたその時点で高橋演説の後であり、チェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィアの両国はオーストリア国境に軍を展開していた。


 2月27日付で遣欧教導旅団は中欧派遣軍と改名され、2月15日に横浜を出港した増援1個旅団と合わせ2個旅団による軍編制に改められたのである。


 中欧派遣軍にはダイムラー・ベンツ・アリサカから納入されたハーフトラックが充当され、完全自動車化が達成されていたのである。また、ツェンダップのバイクをまとめて購入し配備していたこともあり、欧州の兵器産業の見本市といった装備品の状態であった。


 また、中欧派遣軍にはあえて三八式歩兵銃が配備されていたことも特筆すべきことである。これは欧州においても弾薬の調達が容易であり、特に欧州大戦時に大英帝国も用いたこともあり6.5mm弾の確保がしやすいという点が重視されていたのだ。無論、欧州大戦時に大量に輸出されたこともあり、中古品であっても入手が容易であるという点も考慮されている。


 他にはブレン軽機関銃を採用したことで余剰が出たヴィッカース・ベルチェー軽機関銃を格安で大英帝国から購入し、これを配備していることによる火力支援も充実している。


 尤も、重火砲に関しては現地から導入出来る分は限られていることから、九〇式機動野砲の拡大試作品を根こそぎ持ち込んでいる。技術本部は丁度良いから壊すつもりで使って欲しいと送り出していたのだ。


 司令官として着任した梅津美治郎少将は異色な編制に半ば呆然としつつも、与えられた任務……中欧介入という難題……を全うせんと覚悟を決めていたのであった。

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