オーストリア騒乱<3>-another view USA-
皇紀2591年 3月12日 アメリカ合衆国
「やられた……」
アメリカ合衆国大統領ハーバート・フーヴァーは呻く。
オーストリア騒乱が始まって以来、アメリカは概ね蚊帳の外であった。いや、国内世論が支那情勢と経済問題に向いていたこともあって虚を突かれる形になったのである。
支那問題で民主党寄りの論客は門戸開放・機会均等をお題目に支那への派兵による調停を主張し、共和党寄りの論客はモンロー主義と列強との協調を主張し、外交政策について完全に二分されていた。
資本家たちもまた支那をラストフロンティアと考えているチャイナロビーに影響を受けている者たちは既得権益を有するデラノ家などだけでなく、介入によって生まれるビジネスチャンスを逃したくないと民主党勢力の主張を応援していたが、共和党支持者の投資家たちは急激な経済成長を続ける日本に投資することで環太平洋経済圏を主張し対立が激化していたのである。共和党支持層をまとめ上げているのはアリサカUSAのアルテミス・フォン・バイエルラインであった。
日系企業であるアリサカUSAに批判的な向きも多かったが、対日投資及び対日輸出による堅調な売り上げは投資家たちにとって魅力的であり、29年の暗黒の木曜日以来の株価大暴落において唯一株価が上がり続けた企業であったことから投資家たちはアルテミスの手腕と対日投資の有望性を確信したことで対日関連銘柄は徐々に株価を上げていったのである。
対日投資によって財を成した投資家や業績が上向いた企業にとって、チャイナロビーの工作活動は自分たちの投資先に対する毀損でしかなく、それが故に公然とチャイナロビーとの対決を主張し、ジャパナファイル(Japanophile)と称し支那市場の不健全性や商業慣行の非文明性を訴えていた。
政治と経済が揃って日本と支那を向いていたことで欧州における火種とそれを利用して中欧の秩序変革を狙った有坂総一郎らの一手を見逃したのである。
「若槻演説で中欧問題に介入する意思を示していたが……これでは高橋演説は火に油を注ぐという無神経なものではなく、明確な意思を持っての介入するための理由付けではないか……」
フーヴァーは大日本帝国が仕掛けたとしか思えないオーストリア騒乱に苦虫を嚙み潰したような表情で新聞報道や国務省から入った情報を見比べていた。
かつて欧州大戦でオーストリア=ハンガリー帝国、ハプスブルク家統治体制を潰す意図はなかったが、ロシア革命によって孤立したチェコ軍団を救出するという話の中であっさりと当初の予定を翻したこと、それを認めて中東欧をバラバラに引き裂いたこと……それの引き金を引いたのがアメリカ自身であり、当時の大統領ウッドロー・ウィルソンであることをフーヴァーは思い出している。
「民族自決という名のもとに中東欧を切り裂いたこと、それに対するしっぺ返しが今ここにきている……明らかに日本は戦後秩序に対する挑戦を我が合衆国に叩きつけている……」
かつてウィルソン政権時に主要閣僚ではなかったと言えど食糧庁長官であり、いくらかは関与していたことを思い出す。
ロシア帝国が捕虜をチェコ義勇隊として組織し、東部戦線へ投入しドイツおよびオーストリアへの対抗戦力として投入したのがそもそもの始まりだった。東部戦線に投入されたのち義勇連隊と昇格させ、さらに捕虜を組み込み旅団、軍団とロシア革命までに6~8万人規模にまで膨れ上がっていた。
その間に「チェコスロバキア国民委員会」をトマーシュ・マサリクやエドヴァルド・ベネシュらが設立、これによってオーストリア=ハンガリー帝国の運命は決した。マサリクらのチェコスロヴァキア独立支援を連合国が約束したことで、オーストリア=ハンガリー帝国内の各民族が分離独立へと志向したことで更に事態は悪化したのである。
「あの時、チェコ軍団を見捨てさえしていれば……いや、人道的に助けたとしても独立を認めるような言質を与えなければ……」
フーヴァーは自分たち連合国の……アメリカのいい加減な干渉を呪った。
「すべてはあの時に誤ったのだ……それだけではない、民族自決の原則などというまやかしで旧大陸の秩序を乱したのだ……」
アメリカにとって旧大陸の国家はどこであれ突出しているのは世界覇権の邪魔でしかない。だからこそ、軍縮条約で列強に足枷を課すことを画策した。その為であれば同盟国である大英帝国ですら罠に嵌めることに躊躇はしない。
だが、中欧に関してはアメリカにとっては大したことではない。元々が火薬庫であり、放っておいても爆発する。人種などゲルマン・スラブ・マジャールとグダグダな状態である。まとめておいても、分裂しても、どこかしらで問題が発生する。
「拡散する共産主義への防波堤にはなるが……かと言って日本と妥協するのは……」
フーヴァーは現実的にベストな回答はわかっていた。だが……。




