決裂!震災対策協議会
皇紀2583年8月3日 帝都東京
この日、帝都地震災害対策協議会の定例会が総理大臣官邸において開催された。朝から気温は30度を超え、茹だる様な暑さに関係者は皆一様に疲れ切った表情であり、それがまた、長引く会議の様相を表してもいた。
集まっている関係者は渋い表情や眉間にしわを寄せる表情をしているが、それには理由があった。
去る1日に行われた避難訓練の結果が彼らに深刻な問題点を提起し、表面化した問題の解決に頭を悩ませているからである。
「総理、今回の避難訓練で多くの地域で逃げ遅れが発生し、結果、判定委員によってその殆どが焼死と判定されましたこの件、政府としては如何お考えか?」
東京市長後藤新平は避難訓練において防災司令として陣頭指揮を執っており、避難誘導の難しさを実感したがゆえにこの問題を最大の論点だと考えていた。
「後藤市長、報告書は読ませてもらったが……これは流石にどうにもならんよ……避難しようにも東條少佐や今村助教授の提案で建物が倒壊したという前提で道路本来の幅よりも遥かに制限を課した状態で行っているのだから至る所で渋滞が起きるのは道理だろう……」
総理大臣原敬は後藤の質問にまともに答えることが出来なかった。
報告書には避難誘導の困難である理由、逃げ遅れの発生理由が道路の事実上の通行止めや倒壊建物による閉塞という仮定によって道路がその機能を失い、結果として身動きが取れないと明記されていた。
一部の関係者はこの道路閉塞という仮定が行き過ぎだと主張していたが、東條と今村の共同戦線は過去の事例などを引き合いに出すことでそれが行き過ぎでも非現実的なものでもないことを主張し、原や後藤が「最悪の事態を想定したものでないと意味がない」とこれを認めたことで、当初の予定通りに実施されたのだ。
結果、至る所で道路閉塞によって身動きが取れなくなった帝都市民は要所要所に散らばった判定委員によって焼死判定を受けていたのだ。
「どうにもならんって……総理、それでは帝都市民に死ねと申されるか?」
原の返答に後藤はムッとして言い返した。
「そうは言っとらん。道路が道路として機能しないでは逃げるに逃げようがない。そう事実を言っただけであろう……対策はあるが……」
原は言い掛けて表情が曇った。しかし、気を取り直して続けた。
「一番簡単な方法を取るしかあるまい……道路そのものを広げる、火除け地を作る……これしかない……」
「それが出来たら誰も苦労はしない!」
原の言葉に後藤の代わりに東京市職員が声を荒げた。
誰もがそう思っていた。それが出来れば苦労しない。出来るなら、今すぐにでもやっている……と。
「では、それ以外に対応策があるのか?」
原はあえてそう尋ねた。
「……ありませんな……」
後藤は溜息をついてからそう答えた。
東條や今村は山手線沿線の内陸部よりも沿岸部、江戸時代以後の埋め立て地区など……つまり、日本橋界隈や下町、浅草、上野などを家屋倒壊及び火災消失の重点警戒地域と判断していたため、この地域の道路がほぼ寸断しているという仮定で避難訓練計画を立てていた。
そして、その予想とほぼ同じ結果が第一回訓練で判明し、東京市職員はこの地域の狭い道路や小路に頭を悩ませていたのだ。
「であるならば、やむを得んだろう……立ち退きをさせるしかあるまい……」
「……政府が責任を持って下さると……そう考えてよいのですかな?」
後藤は責任の所在を原に明言させようとした。
「そう簡単に答えられるわけがなかろう、君ぃ! 内閣で諮っていないことを軽々しく言えるわけがなかろう……」
「では、東京市の行政の範囲で行えと?」
「それが出来るのであれば、やってくれて構わん……無論、財政負担はそちらもちであるがな」
原と後藤は厳しい視線を向けお互いに牽制し合い、結果、話し合いが出来る状態ではなくなり、この日の会合は散会となった。




