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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2591年(1931年)

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1931年時点での大日本帝国<9>

皇紀2591年(1931年) 1月1日 世界情勢


 大阪電気軌道と参宮急行電鉄の直通運転が開始された30年末、早速越年ダイヤによる伊勢参拝輸送による特需が発生、伊勢参拝だけでなく、橿原神宮、大神神社、春日大社などにも参拝が可能な新春3日間乗り放題切符が発売された。


 この切符は周遊券であり、伊勢参拝の記念品と御朱印台をセットにしている。これによって、伊勢参拝という特定目的輸送だけでなく、沿線各地で下車することを誘導し、宿泊、食事、土産物へと旅客の資金投下を促していたのだ。


 無論、これは大軌・参急連合の自社利益最大化の経営戦略であったが、同時に京阪-伊勢における利便性のアピールの場でもあった。


 だが、これに便乗したのは当然のことだが有坂総一郎である。帝国陸軍の新装備を伊勢神宮内宮前で展示することで参拝者に宣伝活動を行ったのである。調達価格を示すことで陸軍に献金が舞い込むという計算があったのである。


 実際に関西財界から正月期間中に申し出られた献金額は展示されていた八八式中戦車と八九式軽戦車をそれぞれ4両ずつ納入出来るほど集まっていた。


 また、集客効果が大きいことがわかっていたことから博覧会のパビリオン的な仮設展示場をいくつか設置し、ここに有坂コンツェルン各社の製品を展示し、参拝に訪れた財界人や技術者たちの注目を得ていたのだ。無論、東京瓦斯電気製のトラックや中島飛行機製のトラックも展示されていた。三菱重工業は国産初の14気筒空冷発動機である金星発動機を展示し欧米に引けを取らないと言わんばかりにアピールしている。


 この博覧会会場と山田駅(外宮前)、陸軍展示場(内宮前)の間で循環バスを運行し参拝客の7割くらいを誘導することに成功し、急遽開催した博覧会は大いに盛り上がったのである。


 だが、もっとも盛り上がった会場は戦車が展示されている陸軍省展示場と試作機関車を展示している鉄道省展示場であった。いずれも子供たちに人気であり、戦車や機関車の模型を欲しがる子供たちが駄々をこねる光景がそこかしこで見られていた。


 一方海軍省は陸軍省が何かやろうとしていることを気付いていたが、時間的に何か対抗することが出来ず、後日、献金によって戦車が献納されたと聞くや悔しがったのである。


 尤も、海軍省は大角岑生海軍大臣の指揮の下、神戸にある川崎重工業と三菱重工業の造船所の拡充を推し進め、鈴木商店系列の神戸製鋼所に神戸の二つの製鉄所とは別に加古川に銑鋼一貫製鉄所を設置。同様に鈴木商店系列の播磨造船所の船渠の増設を推し進め、飾磨港に新造船所を設立している。


 舞鶴においても軍縮条約で舞鶴要港部・工作部と格下げされていたが、これを鎮守府・工廠に再昇格させ、駆逐艦・水雷艇などを建造出来る船渠を4基増設していた。これは東舞鶴分廠と称され西舞鶴の鎮守府と本廠とは距離があるが同じ運用となっている。

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