帝都地震災害対策協議会
皇紀2583年7月1日 帝都東京
東條論文発表以来続いていた政府、東京市、東京帝大による帝都地震災害対策協議会が総理大臣官邸にて開催されていた。
東條論文、今村論文によって帝都は火災に弱いという問題提起と22年12月に起きた島原地震における火災延焼という実際の被害を目の当たりにした政府、東京市、学者は帝都を災害に強い街に改造するという方針は立てたが、少なくとも5年以上の長期計画、国家予算にも匹敵する膨大な予算という立ちはだかる大問題を前に及び腰となっていた。
しかし、だからと言って手をこまねいているわけにはいかないと内閣総理大臣原敬は協議会の面々を一喝。これに東京市長後藤新平も賛同し、帝都改造を行うのと災害に備えることは同時に行えると主張した。
「帝都壊滅という現実的な想定、そして帝都を改造するという気が遠くなる事業に諸君が怯むのはわからんでもない。だが、それでは、帝都とその周辺に住まう臣民1000万の生命財産を守ることは出来ぬ! 我々がここで集まって知恵を絞っているのは何のためか!」
原は言う。彼の視線に関係者の一部は目を逸らした。
「総理の言葉通りだ。やらねばならんことはいくらでもあるが、今すぐにでも出来ること、やらねばならんことがあるのではないか? そう、帝都の経済活動を一時的に停止させてでも避難訓練を一斉に行うのだ。定期的に避難訓練をしておれば、とっさの時にどうしたら良いのか迷わずに済む。それだけでも臣民が自分で自分の生命を守ることが出来よう……しかし、これをせねば……どうなるか、諸君はわかるであろう?」
後藤の言葉に東京市の役人たちは強く頷き、「そうだ!」「その通り!」と彼らは口々に叫ぶ。
会議室が静かになるのを待ってから原は口を開く。
「東條少佐、君の考えはどうだね?」
東條論文を発表した当の本人である東條英機少佐に原は発言の機会を与えた。
「小官も、総理や市長と同じであり、今出来ることをやるべきであると考えております……特に地震時に火災の発生となれば、場合によっては消火そのものが不可能である場合も考えられます。水道管の破断などで水の供給が出来ない場合などがそうであると……」
「確かにそうだね。東條君の言う通りだ。それは大いに可能性があると思う」
後藤は大きく頷く。
「そうなりますと、火を消せないわけであります……。結果、延焼地域は加速度的に増えるわけですが、この場合、延焼地域内に多くの逃げ遅れが発生すると考えられます。これを有効に避難させるためには……やはり、避難訓練が一番適当であると考えます。そして、それは繰り返すことで意味を成すわけであり、これは軍隊における調練と全く同じものであり、やらなければ効果を発揮し得ないと断言出来ます」
東條の言葉に徴兵経験のある者たちが頷きあう。
「そして、この帝都周辺での地震の周期はおおむね数十年単位。短ければ20年程度で発生することが過去の記録からわかりますが、これは震度の大小に関わらず覚悟し対応せねばなりません……極論を申し上げましょう……建造物が倒壊しても建て直せば済む……しかし、臣民の生命は失えば元には戻らない。長期的な帝都改造も大事ですが、今は間近に迫っている地震への臣民の心構えを優先すべきものだと考えます……」
後藤はそれに頷き、言葉を継いだ。
「東條君の言う通りだ。事は急を要する。明治東京地震からも20年が経っている。つまり、いつ起きても不思議はないということである。ならば、日頃の心構えを万全にし、いつ起きるかわからぬ地震に備えるべきだろう……それと同時に行政は政府と東京市が共同して長期間計画で順次高規格道路の建設や火除け地の設置をして災害に強い街づくりをしようではないか……。帝大や研究者、学者の方々には地震の研究を大いにやってもらうと同時に防火建築、免振建築などの実証をして欲しい……必ずや地震の後、間に合えばそれが役に立つことだろう」
後藤の言葉に多くの関係者が賛同し、会合の締めくくりとなった。
この会合によって、8月1日、15日、9月1日の正午前後2時間に渡って戒厳令を布告し緊急避難訓練を実施すると決定された。同時にその時間は火の使用を極力禁止し、民間にも協力を徹底させるとした。




