志式飛行艇
皇紀2590年 9月3日 帝都東京 帝都国際空港(羽田飛行場)
イーゴリ・シコルスキーの日本亡命から約1年、彼は本拠を神戸に移し、武庫郡鳴尾村に増設された川西航空機の鳴尾製作所に技術顧問として招聘され帝国海軍から発注された九〇式飛行艇の開発に取り組んでいた。
史実通り英ショート社の技術系譜に属する九〇式飛行艇の開発が進んでいたが、彼はそれとは別に自身の経験を活かした設計を行い、自腹で試作機を造るという暴挙に出ていた。
生産機材は亡命時に持ち込んでいたことから鳴尾製作所の一角を間借りする形で据え付け、シコルスキー・エアクラフト社の亡命社員と川西航空機の社員たちが一緒になり造り上げた機体は設計開始から数ヶ月で形となった。
パラソル翼に4発の空冷発動機を搭載し、275kmの最高速度を叩き出したそれは実質的に史実で帝国海軍が発注した九試大型飛行艇(九七式大艇の試作機)の要求水準に近いものであった。
8月上旬に完成した”志式”飛行艇と仮称され、史実シコルスキーS-42を早期登場させた格好となった。尤も、S-42そのものではないため、多少のスペックの違いはある。
仮称志式飛行艇
全長:20m
全幅:35m
全高:5m
発動機:空冷星型複列14気筒”金星” 公称800馬力(定格720馬力) 4基
最高速度:275km
巡航速度:250km
航続距離:3000km
乗員:5名
乗客:30名
概ね、S-42をスペックダウンした仕様ではあるが、この数字に帝国海軍は大いに興味を持ち、川西航空機と広海軍工廠への九〇式飛行艇の開発を中止するように指示を出すと同時に”志式”飛行艇の軍用転用を研究するように指示を出し、川西航空機鳴尾製作所には連日、帝国海軍の航空関係者が出入りするようになっていた。
盆休みを挟んだ8月下旬に連日の飛行試験を繰り返し、長距離飛行試験を兼ね、大阪湾から東京湾への回航が行われたのが9月1日のことであり、この3日は海軍省、陸軍省、横須賀鎮守府、横須賀海軍工廠、陸軍航空本部、東京帝大、中島飛行機、三菱重工業、有坂航空工業などから多くの技術者や研究員が参加しての展示飛行が行われたのであった。
そこには東條英機少将、そして有坂総一郎も参列していた。
普段は列車での移動しかしない総一郎ではあったが、空路整備は重要であると考えていることもあり、また、大刀洗飛行場での一件から大規模空港の整備の推進、また、大量輸送が可能な航空機の開発と運用を真剣に検討していたことから”志式”飛行艇が折良く開発中であると聞くとその試験飛行を帝都で見たいと思い、軍事調査委員長である東條に捻じ込ませたことで急遽開催される運びとなったのである。
「急に捻じ込むのは流石の私でも骨だったぞ……全く、海軍側が賛同したからどうにかなったが、こういうことは思い付きで言わんでくれ」
東條の苦言に総一郎は少し反省した表情を見せるがそれもその時だけであり、次の瞬間には東條にロクでもないことを言い出すのであった。
「東條さん、いずれ合衆国はB-29を造るでしょう。特に石原さんが支那で戦略爆撃の真似事をやらかしてくれたおかげで連中もその有効性に気付いているかもしれません。そうなると、大型爆撃機の量産や開発を進める可能性が高いです」
総一郎の言葉に東條は眉を動かすが言いたいことに気付くと頷く。
「軍縮条約も実質機能しておらんからな。列強はどこも大艦巨砲主義に突っ走っておるから空母の建造は遅れるだろう。場合によってはそもそも完成しても戦争に間に合わんかもしれん。であれば、確かに貴様が言う通り、重爆の量産をして前世同様に帝国を火攻めにすることが理に適っておるだろう」
「その際に向こうが4発重爆、6発重爆を揃えて来襲した場合、我々に必要なのは……」
「対抗出来る局地戦闘機と報復攻撃が出来る同様の重爆だな? だが、局地戦は兎も角、重爆の量産は我が帝国には重荷となるのではないか? 前世も4発重爆に相当する機体は海軍の九七式大艇と二式大艇くらいなものであっただろう? 連山も完成したが量産は断念しておる……富嶽に至っては発動機すら間に合っておらん」
「富嶽は兎も角、連山程度なら陸軍さんで言えばキ91程度であれば今の我が帝国なら揃えることそのものは出来るでしょう。そのための準備を進めておるのですから……ですが、残念ながら、太平洋を越えて攻撃するには至りませんから……」
「まぁ、そうだな……だが、支那やカムチャッカ半島やアリューシャン列島なら届くだろう? そして連中もそこからなら我が本土を狙える……そしてマリアナ諸島……」
「無論です。が、今は合衆国そのものよりも対ソ連、赤軍への備えという意味合いが強いですが、SB爆撃機の様に高速侵入されては我が防空は隙だらけと侮られます。ですから、陸軍さんが4発重爆の開発の音頭を取って各方面の意識改革の先鞭をつけて欲しいのです」
「確かにそうだな……だが、貴様が4発高速重爆を望む理由は他にあるのだろう?」
東條は総一郎が表向きのことしか言っていないことに気付いていた。
「もう一つの狙いがあります……」




