蠢動
皇紀2583年6月9日 スパッスクダリニー
第8旅団長荒木貞夫少将は会議が終わった後、参謀次長武藤信義中将へ電報を打った。
「ハバロフスク攻略に増援を求む、真崎を送られたし」
電報を受け取った武藤はすぐさま裏工作をはじめ、第1旅団に出師準備を秘密裏に命じたのであった。
皇紀2583年6月13日 帝都東京
浦塩派遣軍からハバロフスク攻略作戦が参謀本部へ通達され、参謀本部での作戦案の検討が行われた結果、作戦案は承認され正式に実施が発令された。
参謀総長河合操大将は一抹の不安を感じながらも、作戦案に不備が見当たらず極めて妥当で現実性があるがゆえにこれを許可したのであった。
作戦を許可したが難しい表情を浮かべている河合へ武藤は進言したのであった。
「総長、作戦案には不備などはありませんが、攻勢に出るにはやはり兵力を増強されるのがよろしかろうと思います……第1師団から第1旅団を追加派遣し、これをもって主攻の第8旅団の与力としたいかと思いますが、如何でありましょう?」
「1個旅団の増派か……それならば予備戦力が出来、後方の守りも厚く出来るか……臨時予算からもここらが限界であろう……」
「旅団長の真崎は第8旅団の荒木と同期であり、仲も良く、また、恩賜の軍刀組……必ずや期待に応えてくれものと考えます」
真崎甚三郎……この時、彼は陸軍少将、第1旅団長である。
史実では陸軍士官学校に赴任し、本科長、教授部長、校長と歴任し、現場へ戻り、第1師団長に就任、左遷され台湾軍司令官となる。同期の荒木貞夫が陸軍大臣に就任すると陸軍中央に返り咲き参謀次長に就任。閑院宮参謀総長の下で参謀本部を取り仕切り、皇道派を構築する。
「真崎か……」
河合は嫌な予感がした。だが、それが何なのか自身でも説明が出来ないモヤモヤしたものであったため何も言えずそう答えるしかなかった。
「総長の裁可もいただけましたので、早速第1旅団には出師命令を出します……よろしいですね?」
「……わかった……委細は任せる」
河合の言質を得ると武藤はすぐに動き出し、第1旅団の出師準備を始めさせたのであった。
数時間後……。
「真崎を送る。暫く辛抱されたし」
「第1旅団は明後日東京より出港す。要望通り、尼港に上陸、ハバロフスクを後背より衝く」
武藤は前線の荒木へ電報を打ったのであった。
「閣下の配慮に感謝す。第1旅団の行動に合わせ、我もウスリー川より強襲をせんとす」
荒木、武藤、真崎……後に皇道派として一大派閥を構築する彼らの水面下での策動が始まったのである。




