日英艦隊の邂逅
皇紀2590年 7月21日 上海沖
大英帝国東洋艦隊が上海沖に錨を下したのは21日未明のことであった。
アーサー・アークライト中将座乗の旗艦インコンパラブルは軍楽隊の演奏とともに威風堂々と入港し、地域介入力を視覚的、聴覚的に誇示したのであったが、その意味は殆ど自己満足の領域であった。だが、それでも大英帝国が艦隊を派遣し、睨みを聞かせているという事実が極東において非常に重要であったのは間違いない。
同じく上海沖に展開している支那方面艦隊の旗艦出雲から野村吉三郎中将が昼前に表敬訪問し昼食会を行うこととなり、彼らは和やかに昼食会とその前後のやり取りにおいてそれぞれの所属する艦艇や行動目的などについて意見交換を行っている。
アークライトは自身の艦隊が上海防衛における切り札であり、同様に近代化改装によってドック入りしている大日本帝国海軍の戦艦群の代わりにこの海域における抑止力として機能するであろうと語っている。
しかし、野村は逆の感想を抱いていた。
「閣下の艦隊は非常に強力な艦隊であり、我が帝国海軍としても轡を並べて地域抑止力として機能することを歓迎するものであります。ですが、強力な戦力は他の国家にとっては脅威と映ることでしょう。特にこの極東はいわば列強の草刈り場……我が帝国海軍は友邦の艦隊が来援することを歓迎するものでありますが……それが不愉快と見える国もあるでしょう……」
野村の懸念を受けたアークライトはさもありなんという表情で頷く。
「閣下の言わんとするところは理解している。天津にはフランス、イタリア、フィリピンにはアメリカが少数ではありますが艦隊を派遣しているのですからな。パワーバランスが崩れることを懸念して彼らが増派することで偶発戦闘が起きかねないということでありましょう……しかし、それは杞憂というものでありましょう。仏伊は動かない。そもそも、彼らはアフリカで手一杯でしょうからな」
「ですが、合衆国は違います。彼らは日英の戦艦を合計した数の戦艦を有しております……それをフィリピンに回航されましたら極東における軍拡競争となります……無論、貴国がこの極東の政治情勢を重要視していることは理解しておりますから我が帝国は貴国の行動を支持致しますが……」
「閣下は心配性ですな。今の共和党政権であれば積極的に介入はしないでしょう。事実、この数年間共和党政権下で軍縮会議でぶつかることはあっても、チャイナ動乱であっても積極的に動いて来なかった。結果、彼らは門戸開放と言いつつもチャイナの足場を失った……まぁ、流石に上海に関しては国際社会、列強のメンツということもあって歩調を合わせておるようですがね」
アークライトは自信をもってアメリカの介入と偶発的対立を否定する。野村は彼の言い分に頷きつつも少しばかりの懸念を表情に出すが、言い争うことが目的ではないため口には出さなかった。
「閣下、一つだけ忠告を致します。閣下がこの上海へ着任されるまでの間に我が朝鮮総督である斎藤実大将がテロに遭難しました……御存知とは思いますが、この背景には亡命朝鮮人犯罪組織やそれを支援する某国家が蠢動していることをお忘れなきよう……彼らの標的は我が大日本帝国だけではありません。以前の南京事件や上海事変の様なことが起きる可能性があります」
「無論承知しております、それがために我が艦隊は海兵隊を帯同させておるのです。ことが起きたならば先頭に立って居留民の保護のために戦うためであります。その点へのご心配は不要、ただ、失礼ながら貴艦隊は些か旧式艦が多いように思える……貴国は事の重大性、事態の推移を理解しておるのかと……」
「ご心配ありがたく頂戴します。我が艦隊は確かに旧式艦が多いですが、あくまで海上警備が主目的でありますからこれで十分なのです。また、本国は事態急変した際は列強の居留民を収容すべく装甲空母加賀型を配備しております……広大な格納庫は緊急時には避難場所として十分に機能することでありましょう」
「なるほど……であれば納得だ」
その後も有用な意見交換をした後、アークライトは夕食も一緒にどうかと野村を誘ったが野村はそれを丁重に断った。
「申し出はありがたいことですが、ここも戦場に準じた場所です。司令官がいつまでも不在というわけにはなりません、それに今夜の我が艦隊食は私の好物でして、これにて失礼させていただきます」
「なるほど、好物が待っているとなれば仕方ありませんな」
野村の返答にアークライトは上機嫌な笑みを浮かべる。司令官室から出た二人は政治や軍事の話を離れて趣味や好物の話題で盛り上がりつつ舷側まで歩みを共にする。
「今日は閣下とお話が出来大変有意義であった……私は友と轡を並べられることを嬉しく思う」
野村は固い握手でそれに応じ迎えの内火艇で旗艦出雲へ戻っていった。




