李公逮捕
皇紀2590年 7月16日 帝都東京
李堈……大韓帝国において義親王に封じられた李王家の一員。彼の名が挙がって来たのはある意味では自然なことであった。彼は大韓帝国初代皇帝高宗の五男であり、韓国併合後には李王家の分家である李公家に属した人物である。
本来であれば、旧大韓帝国の皇族であるゆえにその立場と影響力は大きいものであるが、彼は残念ながらその立場と弁えることなく、散財によって家政を逼迫させるというまさに暗君というべき振る舞いを繰り返した。
元皇族であり、併合前の財産と恩賜公債の利子で年間4万円の収入を得ていたにもかかわらずそれを数年で破綻させ、李王職が李公家を管理監督しようとすると反発するだけでなく、金策のために詐欺行為を働くなど問題が絶えない状態だった。
だが、そんな彼を頼もしく思っていた存在もまたあった。朝鮮独立運動組織である。「大同団」と名乗る集団は彼に目を付け、「金は出すから、朝鮮から出て独立運動の象徴となってほしい」と彼を騙し、李堈公誘拐事件を起こすに至った。
結局、この目論見は失敗し、独立運動組織も弾圧され、兄である李王(純宗)が本人を呼び出して誓約書を書かせ帝国政府と朝鮮総督府に対して不行き届きに対する釈明をしたことで終わったのであるが、こうした彼の行動は、王公家軌範を後に制定することに繋がった。王公家軌範制定後、史実通りに30年6月12日に隠居し、公位は長男の李鍵が継承したのであったが……。
15日の朝鮮貴族からの証言によって東京憲兵隊は完全武装した憲兵を突入させ15日夕刻に李堈は緊急逮捕された。その際に銃撃戦となり、数名の使用人が流れ弾に当たり重軽症を負うこととなった。
警視庁と東京憲兵隊の家宅捜索によって彼の書斎から事件にかかわる書類や手紙が多数押収され、警視庁の取調室で彼は取り調べを受けていた。
「隠居を隠れ蓑にこのような真似を画策していたとはな……」
無論、彼は関与を否定していたが次々に押収されて調査され証拠が揃っていく状況に否定の言葉すらも少なくなっていった。
「総督への襲撃だけでなく、帝都での騒乱を画策するなど、これは明確な大逆。国家への反逆に他ならない」
取調官が机をガンと叩き脅しをかけると、彼は朝鮮語で早口で喚きだし要領を得ない状態となったため自害防止のため猿轡をした上で留置場へと投獄することとなりその日の聴取は終わった。
取調室の隣室には警視総監丸山鶴吉が陣取り、取り調べの様子を見ていた。
「アレから何か聞き出そうとしても駄目だろう。日本人への罵詈雑言だったんだろうな、それだけを繰り返していた……まぁ、いざとなれば自白剤で対応すればよいだろう……効き過ぎて廃人にならなければ良いがな」
「しかし、李公家が手を貸していたとなると大事になりかねません……政府もこのことに苦慮している様ですが……」
「我々が心配しても仕方あるまい、政治のことは政府がやるさ。現当主の李鍵氏が捜査に非常に協力的であることで捜査が捗っていることで帝都での騒乱は防げそうだが、今一度気を引き締めて捜査と警戒に当たるように……」
丸山は部下に指示を与えると執務室へ足を向ける。彼はやるべきことが山の様にあった。この数日の変事のために各方面で処理すべきものが殺人的水準になっていたのだ。
「全く、要らぬことをしてくれたものだ……だが、幸いなことに帝都警備の不備が見つかった。外国人スパイなどが根城にしそうなところも判明したのは大きな収穫だと思わねばな……」




