比類なきモノ<3>
皇紀2590年 7月15日 南シナ海 カムラン湾沖
大英帝国が誇る新型超巡洋艦、インコンパラブルは同型艦インヴィンシブルとともにシンガポール・セレター軍港を出港、カムラン湾沖合まで進出していた。なお、この東洋艦隊支隊は超巡2、軽巡2、駆逐艦2で構成されている。
東洋艦隊全体の戦力はやはり旧式この上ないのであるが、その旧式艦主体の東洋艦隊に2隻と言っても強力な超巡が配属されたことは実質的に戦艦に次ぐ戦力であり、東洋艦隊の士気は向上していた。もっとも、問題は練度が著しく低いことであるが。
香港派遣部隊、上海派遣部隊と二つの分艦隊を送り出したことでシンガポール常駐の東洋艦隊の艦艇は殆どで払っている状態になっているが、シンガポールの艦隊司令部は楽観視していた。仮に練度が低い超巡2隻であっても存在するだけに十分な抑止力になっていること、仮にシンガポール防衛や南シナ海の航路防衛に引き返させるとしても東シナ海方面の制海権維持は大日本帝国海軍に委ねることが出来ると踏んでいたからである。
さて、インコンパラブル級超巡洋艦だが……。超巡、スーパークルーザー、コンバットクルーザーとも称され、一部は巡洋戦艦と表現する者もいる。
ここでは日本語準拠で超巡とする。どの呼び方でも指して間違いではあるまい。戦術や戦略面で考えればどの呼称も正しく間違いなのだから。
元々大英帝国はワシントン軍縮会議が開催されなかった場合、G3級やN3級と仮称される巡洋戦艦や戦艦の建造を実施する予定だった。ウィンストン・チャーチルはその計画を下敷きとして混迷する大英帝国に希望と誇りを示すべく比類なき屈強な巡洋艦の開発を推進させた。
無論、条約型重巡洋艦が欠陥だらけであることが原因であるが、それとて見方を変えればそれほど問題にはならない。重巡洋艦という規格で考えると欠陥だが、軽巡洋艦規格で考えれば問題はないのだ。バランスを悪くしている8インチ砲塔を6インチ砲等に換装すれば何の問題もない、いや、既存の軽巡洋艦よりも優秀な軽巡洋艦が出来上がる。
こうして大英帝国は欠陥重巡を優秀軽巡へとヴァージョンアップさせることに成功した。無論、それによって排水量に余裕が出来、それをそのまま超巡へ転用出来るというウルトラCである。
大英帝国は竣工も間もないこの超巡を2隻揃って東洋艦隊に配属すると同時に自国のマスコミを招待し、プロパガンダに用いた。新鋭艦の竣工というニュースだけでなく、それが如何に既存の軍艦と異なるものであるか、そして荒海の波濤を越えて進むその雄姿を毎日の様に報道させることで政権支持率、海軍軍縮を実質的に骨抜きにしたことを正当化させるためであった。
新聞公表された数値によると以下の通りである。
インコンパラブル級スーパークルーザー(ドレッドノートクルーザー/コンバットクルーザー)
基準排水量:14850トン
全長:201m
全幅:20m
主砲:45口径10インチ3連装3基
副砲:45口径4インチ砲連装8基
機関:アドミラリティ式重油専焼三胴型水管缶12基
パーソンズ式ギヤードタービン 4基4軸推進
出力:12万馬力
速力:32ノット
航続距離:10000海里/14ノット
この艦の特徴は未成艦G3級の検討案の一つI3級を基本としたものであった。わかりやすい例えで言えば航空戦艦伊勢型の上部構造物配置に近い。もっとも、煙突の位置が違うが。
重量物/重防御区画を集中させることで重量配分に余裕を生むことで中部および後部の構造物には余裕が生じ、この区画に航空艤装や兵装追加を可能としている。だが、今はその区画は兵員の居室やゲストであるマスコミの宿舎となっていることで艦内の居住性の向上に寄与している。
だが、公表されていない部分も存在している。
一般的に条約型重巡洋艦は水線防御装甲厚は条約枠内に収める意図から25mm(英)、30mm(仏)、64mm(米)、さらに条約排水長違反を承知で防御力強化をしたイタリアの70mmというものであり、史実高雄型の102mmというのは破格であったが、インコンパラブル級においては重防御区画だけではあるが史実高雄型と同様102mmを採用していたのである。この重装甲も集中防御と重量物の集中配置による効果によって生み出されている。
つまり、チャーチルが望んだ列強を圧倒するドレッドノートショックを事実上実現していたのである。この設計思想は史実日本の重巡洋艦設計/運用思想に近いものであり、いわば、武蔵坊弁慶が如きそれを望んだものだと言える。もっとも、英国風に言えばトラファルガー海戦のネルソン提督が如く……であろうが。




