観光動員を狙っていたのにそこにいるのは……
皇紀2590年 7月13日 東海道本線急行列車
下関からの急行列車は京都止まりであるため川南豊作に付き合い乗車した有坂総一郎だったが、ここからは大阪発の東京行き急行列車に乗り換えることとなる。
下関0900⇒京都1750から京都1800⇒東京0015だから余裕があるとは言えど、すぐの乗り換えだ。
鉄道省のダイヤは年々スピードアップを果たし、今や東京-大阪間は滞在実質1時間程度とは言えど日帰りが可能になっている。東京0900⇒大阪1535の特別急行「燕」に乗って、大阪1730⇒東京0015の急行列車に乗れば良いのだ。この帰りの急行は超特急と言われている特別急行「燕」と同じ表定速度で運転されるため超急行とも言われている。
また、総一郎と同じように山陽本線を乗ってきて乗り継げば実質的にその日のうちの東京への移動が可能だ。意外と需要が多く、財界人の他、軍人や官僚の利用が多いためほぼ満席での運行となることが多い。そのため鉄道省も一等二等客車のみ連結して三等客車は組み込まないという破格のサービスを行っていた。
それだけでなく、長距離移動客が多いことを考えてか、車両そのものも最新であり、その装備もまた独立式リクライニングシート、区分室で構成され、二等車ですら通常の一等車に匹敵するため特別二等料金の設定してサービスに応じた料金徴収を行うことで客席減数への補填をしていた。空気輸送するくらいなら満席にして高い席料取った方が乗客にとっても鉄道省にとっても利益になるとの判断だ。
無論、このアイディアも総一郎による入れ知恵であり、取れるところから利益を取り、それでいて客が満足して宣伝をしてくれることを狙ってのモノだった。だが、総一郎の意図に反して利用する層は華族や富裕層ではなく、ビジネス客がメインになってしまい見渡す限り官僚に軍人にビジネスマンばかりであった。




