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皇紀2590年 6月10日 帝都東京 市ヶ谷
帝国海軍は史実とは異なる道を進みつつある状況がより鮮明となっていることを確認した東條英機、有坂総一郎、平賀譲の三名であったが、海軍に関してはその殆どを鈴木貫太郎を通して影響力を行使する程度であり、その影響力も帝国陸軍に対するものと比べれば限定的であり、平賀の属する艦政本部への技術的な面でのそれと言っても差し支えがない。
史実と異なり、平賀は電気溶接への理解を深め、藤本喜久雄との確執を乗り越えたことで船体重量の適正化と溶接技術の向上が進んでいた。だが、それだと言っても、八八艦隊計画艦や特型駆逐艦へのそれには十分に反映されておらず、古鷹型巡洋艦において機能した程度である。
現在は平賀の下に藤本が付く形で艦艇の設計を行う体制になっているが、その中で進んでいるのが古鷹型の改良型としての阿賀野型軽巡洋艦である。史実で言えば改阿賀野型と言うべきものだ。もっとも、古鷹型も改阿賀野型を基本としていることからそれ程の性能の差はないが、阿賀野型は船体を共通化した兵装モジュール構造を採用し、これによって戦局の転換に合わせて兵装転換を容易にする準備工事を最初から施しておくことが出来るのであった。
阿賀野型甲案が基本設計になるのであるが、これは15.2cm3連装砲を4基搭載し、61cm4連装魚雷発射管を4基、対空兵装に8cm連装高角砲を4基装備を予定されている。
乙案は15.2cm3連装砲を撤去した上で10cm4連装高角砲を搭載し、61cm4連装魚雷発射管も撤去、8cm連装高角砲の増設を行う仕様になっている。
以前、平賀が大角岑生海軍大臣に命じられた兵装交換軍艦を具現化したものだ。同じ改阿賀野型を基礎としていても古鷹型をタイプシップにしなかったのは兵装転換に適正化していないためであり、最初から転換することを前提とした設計を行ったからこそ別物として計画されているのだ。
ただし、この計画艦の兵装は15.2cm砲は金剛型や古鷹型で採用されている四十一式15cm砲であり既存の砲であるが、10cm高角砲や8cm高角砲については研究中の新型砲であるため、初期ロットは全艦甲案での建造が内定していて当面は八九式12.7cm高角砲を搭載することとなっている。いや、正確には乙案は海軍省や軍令部には正式には示されていない。大角海相と艦政本部しか把握していない内容である。
いずれにせよ乙案への改装を前提とした建艦計画であり、10cm高角砲は史実通りに開発がスタートしてる。但し、八九式12.7cm高角砲の設計中に構想がスタートしている為、順調に行けば35年に制式化され九五式長10cm高角砲として採用の予定である。
「そうだ、先日、設計がほぼ完了した仮称阿賀野型軽巡洋艦だが、大角大臣に設計案を提出してきた。古鷹型に準じた兵装の甲案と兵装転換した防空仕様の乙案だ。そう、大角大臣が要望していた兵装転換が容易に出来る巡洋艦だ。まぁ、乙案に必須の長10cm砲は開発中だから当初建造艦は皆甲案になるのだけれどね」
平賀は要目を記したメモを東條と総一郎に見せるとすぐにそれを鍵付きの鞄に仕舞った。
「これ、我々が見ても良かったんですか?」
総一郎は今更ではあるが疑問に思って尋ねる。
「今のは独り言だ」
「私は何も聞いておらん」
軍人二人は素知らぬ顔で茶を啜っていた。




