海軍航空という底が見えない沼
皇紀2590年 6月10日 帝都東京 市ヶ谷
「帝国の航空戦力の使い方は結局のところ、場当たり対応というべきものであったと考えることが出来ると思うのです。海軍の場合、艦隊整備に制限が掛けられたことで航空機を対艦攻撃の補助戦力として扱うことが原点となり、戦後の視点……いや、昭和20年の時点でも無駄の多いことをやっていたと気付くはず……そう、例えば、一式陸攻や銀河、靖国……これらは魚雷一本の装備で敵艦隊へ突っ込んでいってその多くが散華したのを東條さんはご存じのはず……陸軍さんでも飛龍がそうでしたよね?」
有坂総一郎は東條英機少将に一つの事例を投げかける。
「これら双発機はいずれも1500馬力から2000馬力の大出力発動機を2基積んでいて、その機体の大きさで長距離飛行可能な機体ですが、何れも搭載能力は魚雷一本または500kg、800kg、1t爆弾を1つ程度です。つまり、攻撃能力そのものは同時期に開発された単発の艦上攻撃機と同水準だと言えます……まぁ、陸軍さんの場合、事情が異なりますし、それは東條さんがご専門ですから省きますが……単純化して言えば、海軍の場合、戦時中は双発の陸攻を造るくらいなら単発の艦攻を2機造る方が余程効率的だったのは資料を持ち出すまでもなくご理解いただけると思います。資源的にもその方がありがたいことは東條さんなら総理大臣として理解されていたことだと思いますが」
「無論そうだ。だが……そうは言っても、私は陸軍であり、総理大臣であるから海軍の兵器生産には口を出せん。陸軍であっても立場的に難しい。だからこそ、兵器生産の行政で岸君や藤原君が苦労したのであって……」
「左様ですとも……では、視点を現時点に戻しますと、前世と違い、我が帝国発動機技術は3年程度は先行していますから、空中水雷艇代用として陸攻を造るなど馬鹿げたことを考えつく必要がないのです。そもそも、陸攻の根っこは貧弱な発動機で単発の艦攻が満足な戦力とならないことと長距離進出によって敵の出鼻をくじくことが目的ですから、技術的に単発機で同じことが出来るのであれば陸攻の開発という無駄がなくなります……ですが、海軍の航空論者はそんなこと関係なしにやらかすだろうなぁと思うのですよ……なにせ戦闘機不要論を唱えた先読みの出来ない御仁が居ますからね」
総一郎は苦笑いをしながら東條の反応を待った。
「だが、軍縮が実態を失った時点で連中がそうそう馬鹿な真似をするか? 前世と違うまともな航空行政を考えるという可能性があるだろう? そういう可能性があるのだから航空機に詳しい人間が海軍の中枢から外れるのは痛手にならんか?」
「東條さんよ、大角大臣の後ろには東郷元帥がいて、宮様も大いにやれと発破をかけておられる。前世同様に今世の春を謳歌しておるよ。それどころか、宮様の軍令部長登板が早まりそうなのだよ。これでは航空一派も手出しは出来まいさ。だが、一つ朗報があるよ。豊田貞次郎少将が航空本部長に内定した。これで海軍の航空行政に我々も一枚噛むことが出来そうだ」
平賀譲造船少将は東條の疑念に豊田の航空本部長就任という話題で一縷の望みを示した。
豊田は海軍におけるシンパの少ない東條-有坂枢軸では重要な人物の一人である。史実では軍縮会議から帰国の後、軍務局長へ就任するが、この世界では軍務局長へ就任することなく航空本部長へと決まったようだ。
欧州への出張を繰り返すこととなった彼は帝国海軍と関係の深いヴィッカース・アームストロング社に何度も出入りし、鉄鋼・造船・航空機・銃火器について造詣を深めたことである意味では天職ともいえるポストが宛がわれたことは僥倖だったともいえる。
「その豊田君だが、まだ帰国していないのだが先日手紙が届いてな……まぁ、航空本部での仕事が楽しみだとしたためてあったよ」
豊田は未だ大英帝国に居残ってブリストル社やロールスロイス社などの航空機・発動機メーカーに顔を出す日々であるが、そこで得た膨大な知見を新天地である航空本部で活かさんと野望に燃えている様である。




