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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2590年(1930年)

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陸海軍の事情

皇紀2590年(1930年) 6月10日 帝都東京 市ヶ谷


 この日、市ヶ谷・有坂家本邸に平賀譲造船少将と東條英機少将が訪れていた。


 最近の東條は昇進したこともあり陸軍省内で忙しくしていたことからなかなか有坂邸における謀議に参加することがなく、情報交換と方針確認についてなんとか時間をつくろうとしていたが、時間が合わずに3ヶ月も経ってしまったのだ。


 その間にロンドン軍縮会議は有耶無耶になり、米ソの密約疑惑が浮上するという国際社会に不穏な空気が流れるという状態が東條の忙しさに影響していたのだ。彼の所属が陸軍省軍事調査部長兼兵器本廠付軍事調査委員長であり、陸軍として米ソの陸軍連携という可能性や在比米軍の動き、支那方面への影響を図上演習や情報収集、分析によって検討するという日々だったのだ。


 その結果、荒木貞夫中将が急がせている機動砲配備の緊急性と砲火力の不足という問題が浮上し、それに対してフランス・シュナイダー社との兵器開発との詰めの協議をシュナイダー社東京支社で行い、元々通常の野砲として開発されていて機動砲化を委託していた試製九〇式野砲の原案での早急な引き渡しと機動砲の早期開発実用化を要望し、原型砲の7月中の引き渡しと31年上半期で試製機動砲の引き渡しで協議がまとまった。


 また、試製九〇式野砲と同時に発注されていた試製九一式十糎榴弾砲についても31年中に機動砲化し引き渡しとされ、32年初頭の量産開始に間に合わせる様にシュナイダー社に依頼したが、シュナイダー社はこれには難色を示し、当初予定通りに年末までに原型砲を引き渡し、機動砲化は日本側で行うことを求めてきたのだ。


 有坂重工業において史実よりも早く九五式野砲相当の機動砲が開発されているが、それもやっと陸軍省による実用試験をクリアしたばかりで量産体制には未だ移行していない。だが、トラック牽引が可能で軽量かつ量産に向いた砲であるため九〇式軽機動野砲と制式化され、有坂重工業、造兵廠大阪工廠による砲身の量産に入る瞬間を待っている。砲架や車輪などは別の企業によって既に量産が始まり、造兵廠大阪工廠に納品されつつあった。


「ハイラルの赤軍が増強されつつあるようだ……シベリア鉄道の運行が活発化していると報告が上がっている……実際に威力偵察による小競り合いが頻発している様だ」


 東條はハイラルにおける現地情報を有坂総一郎と平賀に伝える。その表情は硬い。


 対ソ戦略についてはシベリア出兵以来の梃入れ、満州事変の前倒しで今のところ史実以上に上手く進めている。だが、それが故に誤算であったソ連の東清鉄道利権への介入とそれに付随するハイラル進駐を招き、結果として目の上のたん瘤となっていたのだ。


 だが、事態はさらに進行していた。


「あの時に無理にでも関東軍で赤軍も追い出すべきだった……これは失敗した……早急に立て直しを図らねばならん……ノモンハンの様な無様な醜態を晒すなどあってはならん」


 東條は深刻な表情であった。彼の脳裏にはBT戦車に蹂躙される関東軍のそれがあった。


 史実においてノモンハンの戦いは一方的な敗北という認識が多い。だが、実はそうでもなく、痛み分けであったというのが真相だと最近では明らかになっている。


 だが、それは情報公開によってソ連側の被害とノモンハン事変前後の国際環境の変化において、実質的な勝利を得ている部分も見逃すことは出来ない。結果論でしかないが、関東軍が再度攻勢をかけていた場合、モスクワでの外交交渉によって完全勝利すら勝ち取れた可能性はかなり高い。これは実際に交渉にあたっていた駐ソ大使東郷重徳の回想によって裏付け出来る。


 39年9月1日に始まった第二次世界大戦においてドイツは開戦以来快進撃を続け、ポーランドは陥落間近となっていた。モロトフ-リッペンドロップ協定によるポーランド分割密約を結んでいたソ連はドイツのポーランド侵攻が余りに鮮やかであったことからタイミングを失い密約が失効する可能性があり焦っていたこと、フィンランドやトルコへの侵略を計画していたこともあり、二正面作戦となる状況を避けようと考えていた。


 この焦りはモロトフを疲労困憊とさせ、それに気付いた東郷は徹底して足元を見て交渉を粘り強く行うことで戦場での敗北を巧みにカバーし、戦局が優位で外交的に主導権を握れるモロトフを圧倒したことでソ連側の要求を突っぱね「双方とも現在占拠している線で停戦」との譲歩案を押し通すことに成功したのである。


 仮にこの時点で関東軍が増援を派遣し、実際に戦闘になっていなかったとしても戦力が展開していた場合、長期的消耗戦というソ連が避けたがっている状況に追い込むことが出来たならば、ポーランド侵攻の都合を考えソ連側がより譲歩した状況で決着した可能性があるのだ。


 実際に交渉が妥結した直後にソ連はポーランド侵攻を開始している。仮に東郷がさらに粘って交渉を続けていた場合、それだけでも状況はさらに好転していた可能性は高いのだ。また、東郷の交渉によって得た結果はそれほど悪いものではない。「現在占拠している線で停戦」という条件によって得ている領土は失った部分と同程度であり、それを踏まえて考えても一方的な負けと断じるのは間違いだと言える。


「東條さん、ノモンハンは負け戦に思えているかもしれませんが、そこまで悪いものではないですよ。東郷さんが粘って外交的には実質的に勝利したも同然です……が、今回はそれを踏まえても少し不味い状況ではありますよね……」


「こちらの砲火力が充実していない……荒木部長はやる気でいるようだが……シベリアの時と違ってうまくやれるとは限らんだろう。機動戦力はこちらが上だと言っても、ノモンハンの時の様に数倍の装甲車を送られてくるとこちらが引っ掻き回される……」


 史実と異なる状況であるため史実の知識で対応出来ない部分も多く、かと言って現地部隊への指揮が出来るわけでもない東條にとって今の状況は苦々しいものだ。


 前倒しされた満州事変は事前に荒木や真崎甚三郎中将が根回しをして関東軍や浦塩派遣軍などを増強していたことから準備万端で行動を起こせたが、ハイラルのソ連軍を追い払うには既に時機を逸してしまった。


「今は小競り合いなのですから本格的戦闘にならないように働きかけておく必要があるでしょう……九〇式軽機動砲が揃えば撃ち負けることはないのですが……それも最低でも年末までは時間稼ぎをしないと……」


 総一郎がそう言うと東條はそれに首肯する。


「ないものねだりをしても仕方がないからね……うちも大角海相が金剛代艦の代わりに伊勢代艦を要求し始めてね……東郷元帥(軍神様)も噛んでいるらしく、大いにやれとね。大和型を建造するには未だ時期尚早だから困っているけれどね……」


 平賀はそう言うと続けて言う。


「最近、大臣は艦隊派を取り込んだ様だ。元々艦隊派に近かったけれど、加藤寛治大将、末次信正中将の軍令部は大臣の方針を支持している。次官の山梨勝之進中将は慎重論を唱えているけれど、軍縮会議がご破算になったこと、伊勢型を譲渡することで代艦建造に反対はしないと明言した様だ。いわゆる条約派も軍縮そのものがご破算ならば自粛していた分を取り戻すことに前向きの様だよ」


 総一郎は平賀の言葉に大角の方針を感じ取った。


「大角さんは航空主兵には進ませないつもりのようですね……ふむ……であれば、岡田、米内、山本、井上の粛清に舵を切ることになりそうと判断しても良いかな」

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― 新着の感想 ―
[一言] 毎日更新がないと ちと不安
[一言] 日本は作った軍艦を余らせるような余裕はないから、航空主兵も大艦巨砲どっちに偏っても不味いのは確かだよなぁ そういえば浦塩の2隻、藤本私案にあった扶桑改装案がイメージとしては適切なんですかね?…
[気になる点] うん、史実で失敗した筆頭が表舞台に出て来ないならマシな海軍が出来上がるかもしれん。 米内なんて特に。
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