中島飛行機はいつか来た道を歩み始める
皇紀2590年 3月18日 横須賀近郊追浜
中島飛行機は自社の寿2型発動機にそれなりに自信を持っていたが、あくまで単列9気筒発動機にしてはという但し書き付きのものであり、実際は単列9気筒発動機である光と複列14気筒発動機であるハ5の開発も進めていた。
史実では31年に開発を開始している光発動機だが、中島知久平はブリストルとの提携によって得られた英国系の技術系譜だけでなく、米国系の技術系譜を取り入れるためカーチス・ライトで開発中であったライトR-1820サイクロンを29年の時点で開発中であるにも関わらず試作品を購入し、リバースエンジニアリングによる構造解析を行い、その技術取得を狙いライセンス製造権を購入したのである。
ブリストルとの提携と工作機械の充実、品質管理の普及はR-1820のコピー品の製造に何ら支障がなく、純正品と遜色ない水準のモノを造り上げるに至っている。これによって日本製R-1820はライトを日本語直訳した光と命名され、中島製品として売り出されることとなった。
R-1820は複数のシリーズがあり、製品によって馬力は異なるが、概ね1000馬力前後を発揮するものであり、単列発動機としては限界に近い性能といえるだろう。実際、B-17に搭載されたモデルは1200馬力と三菱の金星5型に相当する馬力数である。
史実の光はボア×ストロークを160mm×180mmとし太く長いシリンダーとしている(無論、R-1820もほぼ同様の大きさだ)。実はこれは三菱の火星のシリンダー(150mm×170mm)よりも大型なのだ。あのデカい太いと言われる火星よりデカいのだ。これは量産された軍用機用星型発動機としてはボアで世界最大、ストロークで英のペガサスに次ぐ2位であり9気筒ながら排気量が32.6Lもあった。つまり、それだけ排気量が大きいということになる。よって、発動機直径が大きくなる。要は頭でっかちな機体になるということだ。
ちなみに140mm×150mm複列14気筒である三菱・金星の排気量は32.34Lであり、排気量だけで言えば光とほぼ同様である。それでは排気量も馬力も金星と同じなんだから光で良いじゃないかというとそうは問屋が卸さない。
ボアが大きくなるとシリンダーの冷却効率が下がる。そうなると高回転運転させると支障が出てくることになる。だからこそ、中島は光の160mm×180mmシリンダーに見切りをつけ、155mm×170mmシリンダーを新規開発したのである。これなら光のシリンダーの問題点をクリアできるはずだった。だが、排気量が減っていると思うがそこは複列化によって逆に増大させることに成功している。そう、護の登場だ。複列化したことで44.9Lの排気量を確保している。ちなみに1870馬力である。
さて、話が逸れた。この時期の中島飛行機は146mm×160mmの寿、160mm×180mmの光という二つの発動機によって基礎を固めつつあったのだ。だが、ここが重要なのだ。このボア×ストローク、発動機直径こそが史実日本における発動機開発に大きく影響を及ぼした問題の原点だからだ。
中島知久平は前世知識によるチートブーストによる恩恵でR-1820のコピーに成功し、日本式に改設計し光として開発を進めているが、それは前世と技術・工作水準が進歩しているだけで全く同じ歩みを進めているのである。
これがこの後にどう影響するかは未だ誰も気付いていない。




