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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2590年(1930年)

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試製九〇式艦上戦闘機<1>

皇紀2590年(1930年) 3月18日 横須賀近郊追浜


 海軍鎮守府が置かれる横須賀からほど近い追浜。この地は大日本帝国憲法起草の地でもあり、横須賀各軍航空隊が置かれ、海軍航空の原点ともいえる場所である。


 この春には海軍予科練習生の第一期生が入隊し訓練に明け暮れる日々を送ることになるが、その追浜の地に数種類の試作機が集結していた。


 そこには海軍航空廠、中島飛行機、三菱航空機、愛知時計電機が開発メーカーとして参加し、そして川西航空機、川崎航空機がオブザーバーとして見学を兼ねて参加していた。


 試製九〇式艦上戦闘機、試製九〇式艦上爆撃機、試製九〇式艦上攻撃機が滑走路脇に駐機していた。九〇艦戦は中島と三菱、九〇艦爆には愛知と航空廠、九〇艦攻は中島、愛知、航空廠がそれぞれ試作機を出していた。


 三菱は中島と同様に日本製航空機の分野では中心となるべき存在だが、この時期の三菱は史実同様に迷走を続け、発動機開発において大きく回り道をしている状態だった。これには有坂総一郎はあえて放置を決め込み、中島にのみ肩入れしていたからであるが、この回り道もけして無駄ということはなく、三菱の迷走はその後の金星発動機の成功から火星、ハ43に繋がる貴重な経験を積んでいる下積み時代であり、それこそが中島と異なる発動機開発に必要な条件であったからだ。


 そのため新型機に開発に余力がない三菱は九〇艦戦にのみ絞り、そこに持てる技術を投入することで競作を制しようと狙っていたのだ。三菱試作機の主設計者は堀越二郎。史実で零戦の設計者として名を残す男だ。


 彼の設計は時代を先取りしたものであった。三菱は二機の試作機を用意し、史実の七試艦戦と九試単戦に近いものがそこにはあった。


 試製九〇式艦上戦闘機 三菱一号機

 エンジン:三菱 A4 空冷星型14気筒780馬力

 最大速度: 320km/h

 航続距離: 3時間(960km)

 銃装: 7.7mm機関銃×2

 爆弾: 30kg×2

 乗員: 1名


 試製九〇式艦上戦闘機 三菱二号機

 エンジン:中島 寿2型 空冷星型9気筒750馬力

 最大速度: 350km/h

 航続距離: 3時間(1050km)

 銃装: 7.7mm機関銃×2

 爆弾: 30kg×2

 乗員: 1名



 また、中島は陸軍の史実で言うところのキ11を用意し、馬力アップした発動機に換装し、速力を重視した一撃離脱思想を先取りしたもので勝負に出ていたのだった。


 試製九〇式艦上戦闘機 中島機

 エンジン:中島 寿2型 空冷星型9気筒750馬力

 最大速度: 400km/h

 航続距離: 2.5時間(1000km)

 銃装: 7.7mm機関銃×2

 乗員: 1名


 この時点でお解りだろうが、三菱は2年、中島は4年程度、兵器開発が前倒されているのであった。これもすべて発動機の性能の向上によるものである。


 三菱・金星の原点であるA4は史実では31年に開発されているが、これは中島に先駆けて14気筒化を成し遂げたものであるがゆえに馬力数や排気量は兎も角、技術的未成熟によって安定していなかったが、この世界では基礎的な技術部分や部品精度の向上によって史実よりも故障や破損は少なかった。だが、まだまだ未成熟な部分が多く、安定しているとは言い難かった。


 中島はブリストルとの提携の結果、技術的成熟が進み、また史実では弱かった品質管理に梃入れされたことで寿の品質的安定度は格段の違いを生んでいた。


 また、寿も性能向上に限界が見えていることでボア・ストロークの拡大を行い、史実同様の光の開発を進めていたが単列での限界を悟り、並行し、寿の複列14気筒化も進めている。複列14気筒発動機の製品化投入は三菱に後れを取ってはいるが、その分だけ時間をかけたこともあり、中島の開発陣は「今後開発される航空機の搭載発動機はウチで総取りだ!」と豪語するほど自信を深めている。


 この14気筒発動機は史実でハ5系統として採用されたものとなるが、これの投入こそが中島にとっては喫緊の課題であり、全金属製単葉高速機の開発には必須と考えていた。


 だが、その発動機による機体設計や機体用途の方向性を認識していたのは設計者たちくらいなものであり、あとは転生者である東條英機や有坂総一郎くらいなものである。

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― 新着の感想 ―
[一言] 大量生産させて製造工程の欠陥を見つけとかないと、生産限界が熟練工の腕頼みになっちゃうんだよな。 郵便機や大陸連絡機等である程度の機数調達して大量生産意識する体制を考えて欲しいところ。
[良い点] 品質管理が徹底しているのならケルメット合金の焼き付きも誉の稼働率低下も防げますね。 この性能なら第一次上海事変が起きても技量が同等以上なら単機でも勝てる。 [気になる点] 前話感想で出た…
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