若槻・ムッソリーニ会談
皇紀2590年 2月28日 大英帝国 ロンドン
「ドゥーチェ自ら出迎えとは光栄の至り……先日は大層な手土産をいただき我が大使館の者たちが喜んでおりました今日はそのお礼をと……」
若槻禮次郎と松平恒雄はイタリア大使館を訪ねベニト・ムッソリーニの出迎えを受けていた。
「バロン・ワカツキ、先日の演説には大いに興味を持ちましたぞ。松平大使も、さぁ、こちらへどうぞ。先日の手土産を喜んでくれたなら何より……日本人の舌に合うようなものを用意した甲斐がありましたな」
ムッソリーニは上機嫌で若槻を奥に通した。
「そうそう、先日日本大使館は千客万来だったとか。関係国の抗議が相次いでいたそうですな、その全てを松平大使が反論もさせず追い返したと……なかなかの武勇伝だと聞いておりますが、日本には凄腕の外交官がいて羨ましいですな」
「ドゥーチェは先日、日本大使館からの返礼と松平大使の各国からの抗議を門前払いしたことで気を良くしましてな」
ガレアッツォ・チャーノがそっと伝える。
どうやらムッソリーニが機嫌が良いのは「美味いと評判のチーズがなかったのが残念だったが、とても美味なワインと生ハムに大使館員が喜んでいたから定期的に購入したい」と社交辞令半分、実益半分の返礼をしたことが理由だったようだ。
――お国自慢に応えたらそりゃあ機嫌が良いだろうな。
松平は内心で呟く。
若槻と松平はそのまま大広間に設えられた晩餐の席に促され着席した。
「先日とは異なる銘柄を用意させてた。さぁ、やってくれ」
ムッソリーニは公式の場であるが、あえて礼儀作法を無視するかの様な態度をとり、古い友人と飲むかのような振る舞いをした。
流石にその行動に呆気にとられた若槻と松平だが、ムッソリーニの厚意に甘え、従った。
「乾杯!」
コース料理ではなく、家庭料理、しかも大皿で運ばれてきたそれを見て二人はムッソリーニは堅苦しい真似をするつもりはないという意思を感じると自らも胸襟を開いて応じようと心に決めたのであった。
「ドゥーチェ、此度の晩餐……いや歓迎の宴、心から嬉しく思うのだが、腹を割って話そうという意思だと感じておるのだが、どうだろうか?」
若槻はそう言うと真剣な表情で彼を見つめる。
「私は日本帝国のこの数年の成長を見ていたのだが、手を携えていくべき相手だと考えたのだ。先年、日本に視察団を送り込んだのだが、日本各地で行われているインフラ工事を見て日本は何十年か先を見て国家事業を行っていると認識した」
そこまで言うとワインを一口含み再び語りだす。
「例えば、高速鉄道だ。日本の鉄道省は帝都東京と大阪を将来的には3時間程度で結ぶと豪語していた。我がイタリアで言えばトリノとローマを3時間で結ぶというものだ。それの意味するところを考えた……無論我が国と日本の国情は異なる。だが、かつてプロイセンが普墺戦争や普仏戦争で鉄道を用いて兵力の大動員、迅速な輸送を行い勝利していたが、それを今世で再現することすら可能だ……それに気付いたとき、我がイタリアという国情を劇的に変えるためにはこれが有効だと悟ったのだ」
「我が帝国でも未だ建設は進行中ではありますが、明らかに鉄道省の取り扱い貨物量は激増しており、物流革命が起きています」
松平は相槌を打つ。
「あぁ、我が国同様遅れて来た列強である日本が急速に国力を高めている背景を見た時、そこに一つの意志を感じ取った。技術力、工業力を支えるのは産業の厚さだと。日本もイタリアも産業の厚みは薄い。だからこそ、個々の技術では優秀であっても英米の様な大量生産相手では押しつぶされる。それをなんとかしようと動いている日本のそれこそイタリアが見習うべきものであると……」
ムッソリーニは再びワインを口にするとチャーノに視線を向ける。
「我が国は目下、新型戦艦を建造中でありますが……製鉄技術の問題で一枚鋼板の製造に苦労しています。そこで、日本側から技術導入を図りたいと……クルップ、アームストロングから技術導入を図った日本では既に実用化出来ていると伺っております。代わりに我々はOTOに技術提供を約しましょう……如何でしょうか?」
若槻は松平と顔を見合わせる。悪い提案ではなかった。だが、逆に言えばあまりメリットのない提案である。
史実よりも製鉄技術が進歩している大日本帝国だが、かと言って他国を支援するほど進歩しているわけでもない。あくまでもドイツ>イギリス≧日本という程度だ。それに既に建造の始まっている戦艦に供給するのに間に合うか微妙でもある。
「恐らく御懸念は我が新戦艦に間に合わないだろうという点だと思いますが、条約次第では排水量も変更になりますし、搭載砲も変わるでしょう。我々は急速に戦力化しようとは考えておりません。それどころか、あえて長期化することで公共事業として雇用を確保する意図もあるのでそれについてはご安心を」
チャーノの補足に納得する若槻だったが、松平はあえて質問する。
「それであれば、今回の新戦艦はイタリアにとっては本命ではないと?」
「それは返答出来かねる。手持ちの戦力も改装を行わねばならん。場合によっては、日本の金剛型か伊勢型か……これらの購入も検討している。少なくとも我が海軍の戦艦よりは有力であるからね」
ムッソリーニの発言は若槻にとって衝撃だった。
イタリアが仮に金剛型を購入した場合、長期間建造の新戦艦の就役までのつなぎとなる上に有力な戦艦群を有することとなる。それはフランスへの対抗上でも非常に有効に機能する。
逆に帝国海軍にとっては艦の解体や処分をする必要がなくなり、同時に直ちに代艦建造枠を手に入れることが出来、場合によってはロンドン軍縮会議の枠ではなく、ワシントン軍縮会議の枠で新型戦艦を建造出来るからだ。
「若槻さん、これは一度本国と……」
「我々の手には余るな……」
若槻と松平の二人の意見は一致していた。
仮に伊勢型2隻をイタリアに譲渡した場合、イタリアの超弩級戦艦の保有は7隻となり、新型戦艦4隻を含めると11隻となる。また、ペアとなる艦が居ないうち1隻を退役させたとしても10隻であり、フランスに対抗するには十分な数字となる。
そして日本は長門型2隻と金剛型4隻となり、著しく戦力の偏りが生まれるため、その分だけ会議において主義主張をする際の正当性を担保出来る様になる。35000トン級条約型戦艦を建造した場合最低でも6隻は建造可能だ。状況次第ではバランスを取るため16インチ搭載4万トン級を含んでの建造も可能だろう。
松平は軍縮会議での議論を基に日本が要求出来る限界値を算出していたのだった。
「若槻さん、海軍を説得出来る数字は出せそうです。イタリアの提案は意外と美味しいかもしれませんよ」
ムッソリーニとチャーノは松平の表情で脈ありと感じ笑みを浮かべつつワインを傾けていた。




