紀元節<2>
皇紀2590年 2月11日 帝都東京
商工省の岸信介はハプスブルク君主国再興の見返りで譲渡された遼河油田の権益について不満を爆発させていたが、有坂総一郎や東條英機にとっては痛くも痒くもないレベルのものであった。大慶油田の採掘が本格化したら譲渡分など余裕で回収出来るからだ。もっとも、大慶油田の存在は限られた人間しか知らないのだから岸の憤慨は当然のことだともいえる。
「欧州のことに口を出す必要が本当にあるのかね?」
岸の不満に便乗するように原敬は再度疑義を呈する。
「必要です。今欧州においてドイツ、オーストリア、ハンガリーは不当な扱いを受けており、これが数年後に災いの種となるでありましょう。その兆候は既にドイツにおいて確認出来ております。恐らく、このままではドイツ国家社会主義労働者党《ナチ党》が政権を獲得するでしょう。そうなれば、イデオロギーが対立する共産党だけでなく社会民主党なども駆逐され、イタリア同様に独裁政治に移行するのは間違いありません……それが選挙によって合法的に権力を握った時、誰がそれを批判出来ましょうか?」
総一郎は歴史的事実、確定事項としてそれを知っているがゆえに断言した。無論、その裏でヘルマン・ゲーリングに資金供与し党勢拡大に助力しているのは秘密である。
総一郎にとってはドイツという国家が次の戦争で滅ぼうが知ったことではないが、ナチ党を親日的姿勢にし、技術導入や政治的駆け引きを有利にする必要はあった。そして、もっとも都合が良かった存在がナチ党であったのだ。
「ハンガリーにおいても同様に国粋主義や民族主義が台頭し、戦前の領土奪還を望んで支持を広げているのはご存じでしょう。彼らはチェコスロヴァキア方面ではドイツと利害が一致し、ユーゴスラヴィア方面ではイタリアと利害が一致しています。つまり、ドイツ、イタリア、ハンガリーが手を結べば欧州は再び戦火に呑まれます。そして、スターリンの火事場泥棒によって東欧が赤く染まりかねない……それは世界大戦への道だと気付かれませんか?」
総一郎が欧州についての分析(という名のメタ情報)を開陳すると鈴木貫太郎と東條英機、山下奉文はしきりに頷く。特に武藤章は陸軍大学校専攻学生でもあり、ドイツ方面に関する情報収集も欠かさず行っていたことから総一郎の見解に賛同するところ大であった。
「有坂君の言う通りの状況である。欧州大戦の勃発もまさかそんなことになろうはずがないと高を括っていた列強各国だったが相手が引かないから自分も引けずあの地獄を見た。それも大元はバルカン半島の領土争いだ。セルビアはオーストリア・ハンガリーからまんまとクロアチア・スロベニア・ボスニアを手に入れたが、奪われた側の屈辱を考えればどう動くかなど想像に難くない」
「武藤さんの言う通りです。そして、皆さんお忘れかと思いますが、一つ思い出していただきたいのですが、我が帝国は日露戦争以来、モンテネグロに宣戦布告されたままです。そのモンテネグロはユーゴスラヴィアの一部……つまり、我が帝国にとってユーゴスラヴィアは敵なのです。敵の敵であるところのオーストリアとハンガリーは我が帝国にとっては友邦であるのです。これを助けるのは当然!」
総一郎はここぞとばかりに自説の正当性を訴えるために奇妙な戦争を持ち出した。史実においても、大日本帝国及び日本国はモンテネグロ国家との正式な講和条約、休戦条約、平和条約は結んでいない。よって、2019年時点においても外交上では戦争状態が継続していることとなっている。無論、これには諸説あり、モンテネグロが1918年時点で国家消滅したから無効であるともいえるし、実際には戦闘に参加していないことで宣戦布告自体が無効であるともいえる。
だが、外交上の定義を持ち出すことで介入する口実とその正当性を担保するというマッチポンプなそれですら論拠にはなり得るのだ。そうでなくても人類の戦争史には理不尽としか思えない理由での開戦などいくらでもあり、内政干渉や圧力など日常茶飯事なのである。
”欧州の一部国家は不当な扱いを受けている”
”バルカン問題……東欧問題は我が帝国にとっても重要な問題”
”大日本帝国はモンテネグロと外交上交戦中であり、ユーゴスラヴィアはその後継国家”
”ユーゴスラヴィアによって不当な扱いを受けているオーストリア・ハンガリーは友邦”
”友邦を見捨てることは出来ない”
”大日本帝国は東欧問題に介入する”
まさに三段論法。そこに大英帝国と裏取引によって黙認を引き出しているのだからタチが悪い。




