紀元節<1>
皇紀2590年 2月11日 帝都東京
「若槻さんはやってくれましたね。これで欧州に介入する口実が出来た」
有坂総一郎はこの日箱根のとある旅館において東條-有坂枢軸の国内残留組とともに紀元節を祝賀する会合を開いていた。表向きは政官軍財の懇親会であるが、そこに集う人物は多彩である。
有坂コンツェルンは三大財閥とは一定の距離を置いて事業においては協調したり競合したりしているが、基本的には積極的に何かをしようとはしていなかった。そのためもあり、財閥と近しい関係の人物とはそれ程関係を深めてはいない。
とは言うものの、政治家では鉄道大臣経験者である仙石貢や後藤新平、総理大臣経験者では原敬や高橋是清など、官僚は岸信介、佐藤栄作、賀屋興宣、星野直樹など、軍人は東條英機、平賀譲、鈴木貫太郎、山下奉文、武藤章など、財界は小林一三、五島慶太、堤康次郎、鮎川義介、中島知久平など錚々たるメンバーが揃っている。
この旅館は史実よりも早く起きた箱根戦争で堤が真っ先に建設した旅館であり、堤帝国にとっては象徴的な存在だった。
「だが、プロパガンダの効果は各国で様々だろうが、合衆国を挑発し過ぎではないか?」
ブリストル社との関係で欧米通でもある中島は危惧を口にする。
「とは言っても、連中の強引さ、強欲さはワシントン軍縮会議の時から一向に変わっていない。今回は大英帝国も下心が見え過ぎだから合衆国が調子づくのも仕方ない」
鈴木は海軍の首脳だけあって大英帝国の狙いとそれが合衆国が付け上がっている理由だと分析していた。無論、鈴木は大英帝国の焦りも良く理解出来ていただけにどちらかと言えば大英帝国の肩を持つ側だった。
「しかし、フランスは宥めすかしてなんとかなるとしても、問題はポーランドとルーマニアだ。早速抗議が外務省に来ている。内政干渉だと……無論、突っぱねたがね」
高橋は達磨宰相の名に相応しくない渋い顔で言った。
「流石に原案にあった”旭日旗は邪を撃ち破る正義の旗”云々を削ったのは正解だった。あれでは手に負えん合衆国まで激怒させかねんからな……我が帝国は新撰組ではないのだからな……欧州くんだりまで討ち入りなんぞ出来ぬのだぞ」
東條は高橋の言葉を継いでそう言うと総一郎に向かってもう勘弁してくれという表情を見せる。
「有坂君の発案だったが、アレは国際政治テロそのものだ。帝国臣民には受けるだろうが、それを実行させられる政府や軍部は迷惑千万……皇道派よりも質が悪い冗談……いや、アレは本気だったな……より質が悪い」
武藤は東條が敢えて言わなかった苦言を呈することで総一郎の暴走を未然に防ぐ役割を買って出たのであった。
「まぁ、それで、欧州に介入する口実は確かにこれで出来たが、本当にハプスブルク家を復帰させるつもりかね? その話を聞いたとき驚きで開いた口がふさがらなかったが……」
「大丈夫です。チャーチル卿に話を通して英国政界には根回しを依頼しております。時が来たらばオットー皇太子を擁して大英帝国の承認の上でハンガリー王、オーストリア皇帝として登板していただく予定です。無論、これは先の満州密約の中に含まれているものの一つです」
原の未だに信じられないという言葉に総一郎は密約の一部を開示した上で示した。
「だからあれだけ満州の油田権益で要求が増えたのだな……全く計算外のことをしないでくれるとありがたいのだがな……」
岸は不満そうに言うとタバコを咥えて続けた。
「当初の計算よりも譲渡枠が増えたおかげで商工省としては採掘計画の再検討をしなくてはならなくなったのだからな。他国のために国益のバラ売りはやめていただきたいものだ」
「兄さん、そのくらいで……それでも十分な採掘量でしょう? 当面、帝国では困ることはないのですから」
「いや、今後の航空機用燃料や艦船用重油など民生以外でも需要は増大するのだぞ、まして、遼河油田は重質油……ガソリンは殆ど作れんのだからな」
佐藤が宥めるが岸の不満は大きかった。




