1930年時点のアメリカの国内情勢
皇紀2590年 1月1日 世界情勢
アメリカ合衆国はどうだったか?
10月のブラック・サーズデー以後、ニューヨーク証券取引所の取引は連日乱高下を繰り返しつつも、継続して右肩下がりであった。
元々過剰生産気味であり、不動産市場も低迷、工業指数も右肩下がりという状況で株高が維持されてきた明らかなバブル経済だったアメリカ神話の崩壊は強烈な景気後退と金融資産の崩壊を引き起こした。
一日で時価総額140億ドルが消し飛び、週間では300億ドルが失われた暗黒の一週間の数字はそれこそ欧州大戦でアメリカが注ぎ込んだ戦費よりも大きく、それを失ったことの喪失感はアメリカ人を絶望の淵へと追いやるには十分だった。
いや、彼らも手を拱いただけではなかった。
銀行家や資本家を中心に重工業など手堅い企業の株を買い支えを行ったがそれとて恐慌パニックによって正常な判断力を失った投資家たちの売り注文を抑え込むほどの威力はなく、徐々に追い込まれていったのだ。
また、連邦準備制度理事会(FRB)は株価大暴落から企業の倒産が多発する過程を黙って見ているだけであり、同時に銀行が倒産し淘汰されていくのを何もせず放置していたのだ。「真正手形説」を採るFRBが貨幣発行を金準備にあわせて、激しくマネーサプライを削ったことで十分な資金が供給されることはなく需給バランスを一致させなかったことも恐慌の長期化の一因となった。
共和党のフーヴァー大統領は古典派経済学の信奉者であり、国内経済において自由放任政策や財政均衡政策を採ったことで大規模な公共事業を行わず、FRBの失策と合わさった経済的失政が恐慌を更に加速させているのは間違いなかったが、この時点では誰もが混乱の渦中であり正しく問題の本質に気付くことがなかったのだ。
まさに狂乱の時代の最期に相応しい結果だったと言える。
商務省の一部官僚たちはレッドコミュニティーを設立し、企業の国有化や集団化を画策し、そのための具体的な計画案を水面下で作成し、社会主義的な計画経済を実施することで恐慌を乗り越えようと考えていた。
また、連邦政府の政策に懐疑的であったり、反抗的な企業の解散や統廃合についても念入りに計画され、リストアップと具体的な統廃合のスケジュールまでも彼らは作成していたのであった。
これによって大企業の一部は国営企業にされ、計画に則り生産を実施することでソ連が実施しようとしてる五ヶ年計画に近いものがここにあった。ソ連国家計画委員会に似た組織による経済動態を把握し、需給のバランスを計算した上で具体的な計画を立案させ、模範工場としてこれら国営企業に実施させようと彼らは画策していたのだ。
アメリカ版ゴスプランは、企業の再国有化や農業集団化を実施し、各組織に対して生産計画数値であるノルマの達成を厳命する計画経済メカニズムの基礎を再構築しようとしていた。また、重工業優先の発展戦略により、コンビナートと呼ばれた工業地域の計画・建設、天然資源(石炭など)の大規模な開発を行うことによる国家的財政出動による大規模な公共事業の実施はFRBのゴスプランへの従属を意味していた。
彼らもまたセクショナリズムと縄張り争いの亡者だった。自分たちの権力と権限の拡大を願い、そのための手段として使えるものを使うというものだった。
連邦政府の内部に根を張った赤化官僚の野望は徐々にその真意を気付かせないままに広まりつつあったのだ。




