立ち上がるローマ帝国の末裔
皇紀2589年 12月7日 イタリア王国 ローマ
ローマ進軍以来、着々と権力と勢力の拡大を続けていたベニート・ムッソリーニ政権は遂に一党独裁体制を確立するに至った。
この年のイタリア総選挙は国家ファシスト党以外の参加が認められず、選挙区も議員定数400名の全国選挙区に統合され、国家ファシスト党の諮問機関である党大評議会が決定した400名の立候補者が公示され、国民は大評議会の候補者リストを受け入れるか否かのみで意思表示を求められた。
投票用紙には「Si(スィ、はい)」「No(ノ、いいえ)」の二項目だけ記され、事実上の信任投票となった翼賛選挙に対する国民の関心は高く、投票率は89.8%を記録した。賛成票98.43%・反対票1.57%で国家ファシスト党の全議席獲得が承認された。
これによって、イタリア国内政治の安定化を確立することが出来たムッソリーニ政権だったが、対外的な問題を抱えていたのである。
ワシントン軍縮会議、ジュネーヴ軍縮会議と史実とは異なる結果が立て続けに発生し、本来は海軍休日が約10年続くはずだったが、実際にはそうはならなかったからだ。
イタリアにとって仮想敵国は長年オーストリア=ハンガリー帝国であったが、欧州大戦とその後の革命などによって崩壊したため、現在は地中海を分割する大英帝国とフランスが仮想敵国として目されている。
だが、フランスは戦後の不安定な時期にワシントン軍縮会議で日英に加担する形でノルマンディー級戦艦の建造を認められ、代艦建造の枠を認められていた。それはイタリアも同様であったが、イタリアはフランチェスコ・カラッチョロ級の建造を諦めた直後であったことで差が付いたのである。
条約で認められたレジナ・エレーナ級4隻は30.5cm単装砲装備という時代遅れであり、海軍予算縮減もありワシントン軍縮条約締結後に退役したが代艦建造は行われず、ダンテ・アリギエーリもまた練習戦艦として保有を認められていたが、弩級戦艦としては洗練されているとは言い難かった。
ダンテ・アリギエーリは史実では28年に退役していたが、英仏への対抗上、新型戦艦の建造までは継続して保有することになり、延命したがイタリア海軍にしてもより脅威と感じている大英帝国の比類なき屈強な巡洋艦やドイツの襲撃艦などの建造計画は頭を痛める原因でしかなかった。
頼みの綱であるコンテ・ディ・カブール級戦艦も13門という砲門数は兎も角、口径が30.5cmであり、フランスのノルマンディー級(12門)・プロバンス級(10門)の34cm砲には対抗し難かった。まして、計画が頓挫としたとは言えど、リヨン級に至っては34cm4連装4基16門というバケモノ相手を考えると彼らの苦悩は如何に……。
さらに言えば、コンテ・ディ・カブール級戦艦は2隻であり、改良型のカイオ・ドゥイリオ級戦艦も2隻でしかない。それにダンテ・アリギエーリを加えてもイタリアの弩級戦艦は5隻でしかなかった。フランスはそれに対し、退役間近のクールベ級が3隻、プロバンス級が3隻、ノルマンディー級が3隻(5隻計画うち2隻は空母改装)と9隻。その戦力差は歴然である。
だが、そんなイタリアにもようやく風が吹き始めたのだ。
2月にラテラノ条約によって教皇との間にあった問題が解決し、総選挙の結果によって独裁体制が構築されたからだ。
ムッソリーニは首相就任以来海軍大臣も兼務しており、遂にここに決断を下したのであった。
「ローマ帝国の末裔たる我らに相応しい海軍力の建設を開始することを宣言する。我らが海、地中海の女王たるに相応しい超弩級戦艦の建造を私はここに命じる!」
彼の宣言が伝わったイタリア海軍の将兵の興奮は最高潮に達し、建造を命じられたCRDA社トリエステ造船所、アンサルド社ジェノヴァ造船所、ティレニア海造船所ジェノヴァ工場もまた歓迎し、町を挙げての祝宴が行われるほどであった。
彼の決断は絶妙なタイミングであった。
アメリカにおいてブラック・サーズデー以来立て続けで発生した証券市場の大暴落によってイタリア経済も混乱し始めていたその時に軍需による経済政策、公共事業による需要と雇用の創出を明確に打ち出したからだ。
経済界からも大英断との称賛を受けつつ、同時に彼は将来の調整能力の高さを見せた。
「此度の超弩級戦艦の建造は旧式艦の刷新と地中海世界の安定を担保するものであり、関係国の脅威となるものではない。また、我が国は軍縮条約の制限を順守し、同時に各国の査察を定期的に受け入れることで疑念を抱くことがない様に配慮する……また、南米諸国の海軍関係者には我が国の軍艦建造能力を知ってもらい、新型艦の購入を是非検討していただきたい」
彼のスピーチは年始から開催が予定されているロンドン軍縮会議を明らかに意識しつつ、勃興しつつある南米という第三世界へのアピールを行うことで新型戦艦建造の正当性と受注による経済波及効果を狙っていたのだ。




