光州学生事件
皇紀2589年 11月3日 朝鮮総督府領 光州
10月下旬、一人の新聞記者が上海から長崎、門司を経由し釜山港へ降り立った。
彼はドイツ国籍のジャーナリストであると告げ、朝鮮北部の鉱山地帯の取材が目的だと取材許可証を提示し税関職員の検査をパスした後、朝鮮総督府鉄道京釜本線の京城行き急行に乗り込んだ。彼の目的地は全羅南道の光州であった。
途中、大田で急行を下車すると素早く着替え、湖南本線の普通列車に乗り換え光州に到着した彼を出迎えたのは朝鮮人学生の一団だった。
「ラムゼイさん、お待ちしておりました」
ラムゼイと呼ばれた新聞記者は被っていた帽子を挙げて応えた。
「こちらへどうぞ」
彼は学生たちに導かれ郊外の小屋に向かった。
周囲に建物もなく視野の広い一軒家状の小屋には小さな窓がある以外は分厚い土壁で頑丈に造られている。その周囲にはこれまた分厚い土塀が巡らせてあった。また、その外には畑を挟む形で二重の水路が整備されていた。
一見すると農地と小屋に思えるが、明らかに戦闘を意識したとしか思えない配置である。
「ここが君たちのアジトか?」
ラムゼイは言葉少なに尋ねた。
「ええ、他にもいくつか……」
「そうか」
学生の返答にラムゼイは曖昧な表情で応えると戸を開け中に入った。
「手短に話す。一度しか言わんからな……」
ラムゼイはギロリと学生たちを睨むと続けた。
「日本人学生に喧嘩を吹っ掛けろ。そして、日本人学生が喧嘩を売った様に吹聴するのだ。また、その時には女学生を使え、凌辱しても構わん。強姦されたところを助けたという筋書きの方が信憑性が高まるな……あとは日本人の肩を持つ中層以上の朝鮮人も日本人同様として攻撃せよ。あとは勝手に燃え上がる。それで弾圧する側と弾圧される側という構図が出来る……」
学生たちの表情は強張った。自作自演の事件を起こし冤罪によって貶めるという作戦だった。
「よし、やろう!」
「おぅ!」
一人が声を挙げるとあとはあっという間に賛意の声が上がっていった。
「派手な方が良い!犯し放題だ!」
下卑た笑みを浮かべた学生がそう言うと彼らのボルテージは上がっていった。
「……薄汚い蛮族どもが……精々派手に踊れ……」
ラムゼイはそんな彼らを見ると侮蔑しきった表情で小さく呟くと人知れずアジトの小屋を出てこの地を去っていった。
月が替わり、11月3日。
光州から木浦に向かう列車の中で事件は起きた。日本人学生が朝鮮人女学生をからかい辱めたという。その報復に女学生の従兄弟を名乗る朝鮮人学生が日本人学生に暴行し、正義の鉄槌と叫んだ。車内での殴り合いはすぐに日本人学生たちと朝鮮人学生たちとの間での乱闘、抗争へと発展した。
車内での乱闘にすぐに機関士と車掌は列車を止め、警察に応援を呼び、警察と憲兵によって車内はすぐに制圧された。この時、朝鮮人学生は数名が憲兵隊の発砲で死亡し、十数名が大怪我を負った。日本人学生も同様に重軽症多数を出すことになった。
事件は翌日更に飛び火し、日本人街が焼き討ちされる事件が発生した。
5日に至り、”朝鮮学生解放戦線”と”大韓人民解放同盟”を名乗る団体が”宣戦布告”をし、朝鮮各地での決起を訴えたのだ。無論、この事態に朝鮮総督府、憲兵隊、警察は黙ってみておらず、アジトを突き止め急襲を図った。この結果、数百人の逮捕者と百数十名の死者が出た。
また、彼らは日本人に付き従う朝鮮人を国賊として日本人街同様に焼き討ち、略奪の対象としたため、既得権益を守りたいと考えた中層以上の朝鮮人たちは総督府などの官憲よりも我先にと下層朝鮮人たちへの弾圧や私刑を加えるという暴挙に出たのであった。
この結果、11月中の朝鮮半島は血風吹き荒れる事態となった。
11月28日に至り、根城としていたアジトが完全に包囲され第20師団から派遣された鎮圧部隊によって彼らは掃滅された。
「我らは死のうとも志を継ぐ者はまた現れる。朝鮮万歳、共産主義万歳」
彼らはそう叫びつつ最後の悪足掻きをしたが、機関銃や迫撃砲による攻撃の前には全く無意味であった。




