マクドナルド宣言
皇紀2589年 8月7日 大英帝国 ロンドン
大英帝国ではスタンリー・ボールドウィン率いる保守党政権が総選挙に敗北し、下野するに至った。史実と同じ結果であるが、微妙に経緯が異なる。
史実では5月30日に解散総選挙が行われ、選挙戦では労働党の国有化政策を批判する選挙戦略を前半は採用し手応えがないことが判明すると帝国システムの維持にスローガンを変更したが、労働党は気これに対し巧みに保守党政権の失政を追求し、対ソ封じ込めによって原料の調達が困難となり、これによって市場や雇用を失ったと批判し、同時にゼネスト潰しをも批判することで保守党の主張を論破したことで接戦を勝利するに至ったのだ。
だが、この世界では少し違う。
保守党政権は当初より帝国システムの維持と発展を訴え、同時に国際政治における成果を武器に「大英帝国は世界に冠たる国家としてその輝きを失っていない」と積極的にアピールしていたのだ。
この訴え掛けは聴衆に非常に受けたが、帝国システムによって恩恵を受ける層である貴族や資本家などの上流階級が中心であり、中層ではその支持率は半々、下層では少数派という結果だった。特に誤算だったのは第五次選挙法改正によって認められた女性参政権による女性票だった。
女性票に限ってみれば上流階層こそ支持率が7割に達していたが、中層以下は1割に満たない支持率であり、帝国システムと列強たる振る舞いは女性票には全く響かないものであった。
逆に労働党は帝国システムについては一切言及せず、争点を絞り、ゼネスト潰しを国民の権利の侵害だと主張し、社会保障の充実と基幹産業の国有化による失業の低減を訴えた。
シンプルかつ具体的な政策を訴えたこと、保守党へ女性票が敬遠したことによって票が流れたこともあり総選挙は最終的に保守党260議席、労働党287議席、自由党59議席となった。この数字は奇しくも史実と同じ数字であった。
これによってラムゼイ・マクドナルドによる労働党政権が6月4日誕生したのであった。
それから2ヶ月。マクドナルド政権は重大な局面に早くも直面していた。
前政権……より正確に言えば前蔵相であるウィンストン・チャーチルによって大英帝国は路線変更が不可能なほど支那への介入、対米対立、対独協調が進められていることに気付かされたのである。
事態を把握したマクドナルドは側近に漏らしたという。
「仮に選挙で帝国システムに言及していたら労働党は霧散するほどのダメージを受けていたのではないだろうか……ボールドウィンらが帝国システムと大英帝国の栄光を盛んにアピールした実態は深入りした問題を隠すためだったのだ……」
無論、これを公表するということは不可能だった。マクドナルドが出来ることは対日関係維持と対米関係修復という難しい問題への対処だけだった。
国内的にも軍縮とは名ばかりの実質的な軍拡が行われていた……そう、比類なき屈強な巡洋艦を置き土産とばかりに8番艦までの建造が開始されていたのである。それどころか12番艦までの建造契約書と違約金支払に関する念書まで用意されていた。
軍需産業と軍工廠はこの建造で沸き立っていたが、実質的には条約破りというべきこの建造を食い止めるべきだったが、マクドナルドは違約金のそれを知ると海軍関係者、造船メーカー、チャーチルが結託して建造白紙を阻む強い意志で結託していると感じざるを得なかった。
「海軍大臣を呼び給え」
執務室で頭を抱えたマクドナルドは電話交換手にそう告げると溜息を吐いた。
暫くして入ってきた彼の閣僚は何事かと問う。
「カウンティ級各型式13隻、ヨーク級2隻、ホーキンス級5隻の搭載砲を15.2cm砲へ換装する様に指示を出し給え……チャーチルがやらかしたことの帳尻を合わさねばアメリカに何を言われるかわからん……あと、装甲板も外せるなら外して何とかジュネーヴ海軍軍縮条約の枠内に収まるように……その補正予算も認める……早急に手配し給え」
海軍大臣は頭をひねった。
「首相は海軍の艦艇に詳しくないはずですが……」
「あぁ……チャーチルがメモを残していたのだよ……条約破りの帳尻合わせのための……な……」
翌日、マクドナルドは記者会見を開き、一方的な軍縮を宣言したのである。
「我が大英帝国政府は、昨今の国際社会の緊張を鑑み、率先して軍縮を宣言する。巡洋艦の搭載砲を小さな口径へと換装し、巡洋艦建艦競争となりつつある昨今の流れを止める決意をしたものである」
マクドナルド宣言は各国に衝撃を与えたのであった。
だが、実態を考えると艦載砲の適正化、艦体のバランス適正化、軍縮という名の大改装を可能としただけであった。無論、下ろした砲は倉庫で管理し、再武装や他の艦の装備へと転用可能である。




