省庁再編
皇紀2589年 6月10日 帝都東京
帝国政府はこの日、かねてから進められていた省庁再編を実施した。中央省庁はほとんどそのままであるが、外地行政に関しての行政組織再編が今回の主目的だった。
新設された省は以下の通り。拓務省、企画院、興亜院、内閣情報調査局。
拓務省は海外領土、植民地を管轄し、一般行政、殖産興業の指導を行う部署として拓務局から格上げによって権限強化が図られたのであるが、これは中央政府による海外領土の円滑な統治と一元的管理を狙ったものであった。従来、各総督府は総督と総督府の官僚によって行政が行われていたため、本国中央政府の方針を行政に反映することが少なかった。また、今後満州における統治行政の役割を期待されている。だが、真の狙いは戦時における占領地の行政を担う部署としての役割であり、これは東條-有坂枢軸が捻じ込んだものであり、明らかに戦時への布石ともいえるものであった。
元々、拓務局が管轄していた樺太庁は内務省へ移管し、内地編入されることとなった。これは国内法的に樺太が日本本国の固有領土であると明確化するための措置であった。
企画院は革新官僚たちの要望によって設立された新設組織であり、内閣直属の物資動員・重要政策の企画立案機関である。電力国家管理案の具体化、産業合理化政策の各方面に渡る業務を担当し、国家による産業統制の牙城とも言うべきものだ。
この企画院の設立は財界と官僚側でひと悶着があったが、官僚側の要求が通ったことで設立されたが、その根拠が鉄道省などによる列島改造だった。国策事業を進める上で電力の一元管理は必須であり、同時に国民への明快な電力料金の提示と燃料買い付けにおける一括購入によるコスト低減効果を訴えられては財界としても否定が出来なかったのだ。
また、これに関連して物資動員の企画立案、岸信介ら革新官僚は”傾斜生産方式”の実施による産業の育成と競争力確保が期待出来るとし、その為に行政指導出来る組織は一本化すべきであり、そのためには省庁の壁を取り除いた内閣直属組織であるべきとの言い分が認められた形になった。
そして、鉄道省側も省利省益の観点からこの企画院設立に加担したのであった。そう、帝都東京に営業を開始したばかりの地下鉄道に対するものであった。鉄道省は帝都だけでなく日本各地での地下鉄道建設計画に介入する根拠を企画院に求めたのである。物資動員=傾斜生産方式をそのまま鉄道行政にも適用し、鉄道省の都合が良い路線建設を鉄道事業者に押し付けるという法的根拠である。結果、革新官僚たちと手を結んだ鉄道省の賛同が駄目押しとなり、財界を押し切ることとなったのである。
興亜院は表向きは東アジアの発展を目指すための組織と位置付けられているが、その実態は占領地における産業基盤の確立と資源の調達、移送を企画立案するためのものである。現時点では満州におけるそれが期待され、実質的には有坂コンツェルン、日産コンツェルンの操り人形ともいえる存在である。
内閣情報調査局は内務省、外務省、陸軍省、逓信省の情報・諜報部門を統合することで発足した組織である。史実の情報局はドイツ第三帝国の宣伝省に近いものだが、内閣情報調査局は史実現代日本の内閣情報調査室に近い性格であり、情報機関としての純度は高い。
元々陸軍省は宣伝工作によるプロパガンダによる思想統制で世論形成などを目的とすべきだと主張したが、参謀本部第一部長荒木貞夫中将が「そのような扇動工作など無用、ポーツマス条約の後でどうなったか忘れたのか?」と一蹴したことでプロパガンダ工作を担当することは否定されたのであった。
これらの行政組織の発足は行政範囲の整理に繋がり、同時に既存の枠での省利省益の追及ではなく、外に向かって利益を求める形へと変わったのである。中途半端な形での帝国主義ではなく、厳格な帝国主義へと脱皮を宣言したともいえる。




