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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2589年(1929年)

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シコルスキー・エアクラフトの日本亡命

皇紀2589年(1929年) 6月20日 大日本帝国


 イーゴリ・シコルスキーの日本への亡命が駐米大使館から伝えられた後、日本郵船の事務所にチャーター便の依頼が入ったのである。シコルスキー・エアクラフト社による貨客船借り上げと横浜までの物資輸送の依頼である。


 シコルスキーは国務省の不穏な動きと赤化官僚の暗躍、そしてレフ・トロツキーの亡命という現実的な脅威を感じ取ると自社の機材、備品、機械一式を次々と梱包させ、いつでも亡命出来る様に準備を進めていたのだ。


 そして、亡命の内諾を得るとすぐさまニューヨーク港へ移送させ日本郵船の貨客船に積み込みを依頼したのであった。また、同様に亡命を望む自社の社員を出張、出向扱いで出国させる手続きを行い、同乗させることにしたのであった。


 流石の日本郵船もこの事態に驚き、通常の定期船では対応しかねたこともあり、英国資本のP&Oに傭船を依頼することとなった。


 シコルスキー・エアクラフト社のアメリカからの事実上の脱出はアメリカ国内に衝撃を与えることとなり、シコルスキー社製品を取り扱う企業の株価が急落することとなった。同時にアメリカ軍部からシコルスキー・エアクラフト社に対して機密の流出の疑いが掛けられ、出国停止を命じられた。


 尤も、これら政府や軍部の動きは有効に機能しなかった。既に動かせる全財産をP&Oの貨物船に積載されており、南米沖を航行中だったからである。アメリカ政府、軍部が事態を把握した時には既に遅かったのだ。


 彼らが困惑した理由はS-38飛行艇の日本への技術流出であった。28年に製造開始されたS-38はアメリカ陸海軍に採用され30機弱が納入されていたこともあり、その評価も高かったからである。


 軍部はすぐさまシコルスキー・エアクラフト社に圧力をかけるべく、同社製の航空機を運用する航空会社などに今後シコルスキー・エアクラフト社の製品を買わないように指導するが、これには航空会社側の反発が大きく、「シコルスキー・エアクラフト社の製品に替わる優秀な製品がない状況でそんなこと出来るわけがない」と文字通り塩を撒かれて追い返されるという事態が頻発したのであった。


 日本側に抗議をするも、「一企業の行動に我が帝国は関知しない。貴国が企業活動の拠点として魅力的でなくなっただけであり、我が帝国はそれを受け入れたがそれは一企業の申請に不備がないからである……我が帝国に抗議などお門違いである」と門前払いされるだけであった。

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