4・16共産党弾圧
皇紀2589年 4月16日 大日本帝国
東條英機、豊田貞次郎、有坂総一郎らは2月上旬にリバプールよりニューヨークを経由し帰国の途に就いていた。4月上旬には横浜に帰着し、訪欧の成果をそれぞれに報告していたのだが……。
史実において行われた第二次共産党弾圧、所謂4・16事件は形を変えてこの日行われた。
特別高等警察のスパイMは史実通りに共産党中枢に紛れ込み、レフ・トロツキーの国外追放によって連携がしやすくなったトロツキストを煽り、同時にスパイSはトロツキストの結集を危険視するように煽り、共産党内部での組織内対立を引き起こし、モスクワ(コミンテルン)がどう動くか様子を窺っていた。
内務省はスパイMとSのそれぞれからの報告によって両派の動きを把握し、コミンテルン派がトロツキスト一派を襲撃することを察知するや東京憲兵隊に増援を要請し、浅草の料亭で行われるトロツキストの集会を襲撃しようとするコミンテルン一派諸共一網打尽にすることを計画。
用意周到にスパイによって誘導お膳立てされた舞台に主役たちが登壇したところを憲兵隊及び警視庁抜刀隊が御用改めと突入し、徹底的に掃滅したのである。
その際、赤化分子は残らず捕縛……手足がなくなっていたものは多数いたが……府中監獄へ送られたのであった。この時に判明した恐るべき事実によって内務省、陸軍省は驚愕し、後日、東條英機を召喚するのであった。
また、これは帝都だけでなく、京都、大阪、仙台、京城の帝国大学の学生も多数検挙され、各道府県警察による地方における赤化分子の徹底掃滅が行われるのだった。朝鮮においては総督府政務総監である湯浅倉平が指導し”大掃除”が行われ浄化が宣言され、内務官僚はここぞとばかりに功を為し名を挙げんと励んだのであった。
尤も、これによって誤認逮捕が含まれたが、同姓同名であったり、不審な行動をしていたこと、公務執行妨害による逮捕などが含まれ、その多くは潔白が証明されたのちは厳重注意といくらかの金品を与えられて勾留を解かれたのである。




