ロンドン協定<2>
皇紀2589年 1月12日 大英帝国 ロンドン
「茶番だ!」
アメリカ大使は松平恒雄大使とオースティン・チェンバレン外務大臣に向かって言い放った。
「こんな茶番にフランス、イタリアは同調すると言うのか、それとも何か日英両国と裏取引でもしているのか! であるならば、我が合衆国がここに存在する意味はない。北京北洋政府もこの席を立つことをお勧めする。これは外交交渉ではない」
「我が国は明確に大日本帝国の侵略を受けている。それは満州の喪失という事実で十分にご理解いただけましょう……それどころか我らが主権を蔑ろにし、資源開発を行っているというではありませんか、これは強盗同然の行為であると言わざるを得ない。国家の行うべきことではない」
アメリカ、北洋政府ともに反発の姿勢を取る。
だが、松平は狼狽えることなく冷静に反論を行う。
「これは異なことを仰る。我が帝国は一切侵略行為を行っていない。我が関東軍の出動は、田中義一特使の安否確認、満鉄附属地の安全確保という当然の権利の行使でしかない。その後の軍事行動は満州の軍事的政治的空白による治安悪化、政情不安によるものであり、これらによって侵害される我が特殊権益の保全という予防措置でしかない」
「占領地の拡大は侵略でしかない! まして張軍閥の兵と交戦しているではないか!」
「何を仰るかと思えば……大使殿、我が関東軍が交戦した相手は”元”張軍閥の”元”兵士であり、国際法上では”ゲリラ”や”テロリスト”と定義される存在。仮に”パルチザン”と定義したとしても、ジュネーブ条約の保護の対象ではない。そもそも交戦団体として認められない。如何か?」
「違う、ハルピンや長春、チチハルにおける戦闘は明らかに交戦団体として大日本帝国の侵略軍と交戦している」
「何を仰いますか? ハルピン市内で市中から略奪を行い、チチハルで住民虐殺、凌辱、略奪を行った存在を軍隊、交戦団体とは言わんでしょう……誰がどう見てもこれらの行為を行う存在は軍事組織ではなく”馬賊”や”匪賊”でしょう。しかも、張軍閥や北京北洋政府の所属から外れていての行動……我々からすれば、我が特殊権益を害する存在でしかない。討伐して当然でありましょう? しかも、そこは無政府状態になっている地域……あなた方が主権を主張しても実際に満州を支配しているのは馬賊や匪賊に成り下がった元兵士の群れです。違いますか?」
松平はぐうの音も出ない正論で徹底して追い込んでいった。
実際に関東軍など満州に進駐した部隊は欧米マスメディアの取材活動を妨害はしていなかった。それによって発生から現時点に至るまで概ね状況が欧米では知られていた。
当然、松平が口にしたような実態も広く知られているため英仏伊の代表は異存はないという表情をしている。
「ハルピンの一件に関しては避難民を保護した後、生け捕りにした……これは捕虜にしたという意味ではないですぞ……”元”張軍閥、”元”北洋政府の兵士たちの犯罪行為について公開で裁判を行い、遺失財産の一定水準ではありましたが我が帝国政府から補償を行った点をお忘れなく……これは本来であれば、あなた方北洋政府が主権を主張するのであれば、あなた方なすべきことのはず……それを放置した罪は重い」
「そのようなこと、貴国が勝手にやったことであり我らが関与する余地がなかったに過ぎない」
苦し紛れの言い訳に終始する北洋政府の大使だが、彼の姿勢は日英代表が何かしなくても仏伊の機嫌と態度を硬化させるだけであった。
「私から良いだろうか?」
尚も日本側の侵略だと言い募ろうとする北洋政府大使だったが、そこにフランス大使が口を挟んだ。
「我々は仲介の労を取ろうとし集まったわけだが、北洋政府の赤子の様な言い訳と中傷を聞かされている状態だ。当事者の大日本帝国は理路整然と自国の行動を正当だと言って、実際に我々はそれに納得が出来る状態だと考えている……イタリアはどうだろうか?」
「我が国も同様だ……だが、一言言わせていただけるならば……我がイタリア代表団は北洋政府の言葉に不信感を抱かざるを得ない……彼らの言葉を我らが肯定したならば、列強各国は皆揃って侵略者になってしまうだろう……条約協定によって得た権益を失いかねないと危機感を抱いた……これについて北洋政府の弁明を伺いたい」
イタリア大使の反応は核心を突いてしまった。
列強各国ともに確信して支那の分割占領を行っている。それは自分たちが世界を支配し、従わせる立場であるからそれを強いることに何ら良心の呵責もなく、弱肉強食こそ世の真理であると体現しているのだ。
逆に言えば、侵略の正当化でしかないが、ここで北京北洋政府の”侵略”という言葉を認めれば、支那における特殊権益、租界、租借地、獲得領土を失うことを意味していた。
特に植民地が少なく、資源の少ないイタリアだからこそ敏感だったと言える。尤も、リビアには石油があるのだから資源がないというのは知らないことによるものだが……。
「……それは……」
イタリア大使の言葉によって北洋政府の大使は言葉が詰まった。列強の中で一番立場が弱いであろう日本を突き崩すことが出来れば将来的に列強を追い出す橋頭堡に出来るという打算があったからだ。要はそれらしい難癖をつけて国際社会を味方にすれば現状を覆すことも出来るだろうというものだ。
「我がイタリアは天津租界を有しているが、何かあればそこから追い出されかねない……そう思えたのだが、どうだろうか?」




