チャーチルの独自外交
皇紀2588年 12月20日 大英帝国 ウッドストック ブレナム宮殿
「では、本題だ。日本帝国は今後、満州及びチャイナでどこまで進むつもりかね? それによって我が大英帝国は返答を変えねばならん。ソ連と対決するのかね? 北京を落とすのかね?」
ウィンストン・チャーチルは本題を切り出す。
ロンドンでの交渉は表向きでのものであり、チャーチルは外務大臣であるオースティン・チェンバレン主導のそれとは別に自らが主導する交渉をここにおいて行う腹積もりのようである。
「チャーチル卿、それはお答え出来かねるものです。それを承知でお尋ねと考えますが……」
「無論、言うまでもない。日本帝国全権団で本当に事態を主導しているのは君たちだと私は考えている。松平新大使や松井男爵には悪いが、彼らは表向きの交渉をしているだけであると認識している。なぜなら、私に満州の油田情報を知らせたのは他でもない、そこに居る有坂君なのだからな?」
東條英機は言葉を濁したが、チャーチルは構わず自論を述べる。
「当然のことだが、満州油田に関する情報は全力で調査を行っていたが、巧妙に隠蔽されているのか全く掴むことが出来なかった。先程、占領地での採掘のことを話したが、それとて最近になって裏付けが取れたこと。防諜が緩くなったことで判明したと言わざるを得ない……」
チャーチルの言葉は大英帝国にとっては真実であったが、大日本帝国にとっては事情は異なっている。
満州事変が発生するまでは隠蔽を徹底していたのは事実だが、最近になって採掘現場の防諜を解いたわけではなかった。条件が揃ったから開発開始しただけなのだ。占領地にしてしまえば既成事実を積み重ねるだけでよいのであるから隠す必要性がなくなり、準備していた機材を投入したに過ぎないのだ。
だが、大英帝国にとっては結果は同じでも微妙に感じ取っていたものが違うのだ。
「これほど防諜がしっかりされていたのであるから埋蔵量や油質も良いものであるのだろう……と我々は考えている。そうなれば、日本帝国は産油国としてその恩恵を得ることが出来るだろう。しかも、本国至近の地において豊富に産するとなれば……地政学的に日本帝国の立ち位置は大きく変わると言わざるを得ないだろう」
チャーチルの言わんとすることを非常に重要なものだ。
この世界の大日本帝国は、日本海を完全に内海化している。それどころか、オホーツク海や東シナ海、黄海、渤海すらも事実上の内海だ。安全な内海の確保はそのまま活発な海上輸送ルートの確立が可能となる。
これによって多くの資源が工業地帯である日本本土へ運ばれ加工される、そしてそれは民生品だけでなく軍需品となり、国家を強大に育て上げるのだ。
しかも、石油の確保による燃料事情の改善はそのまま物流の効率化を成し遂げる。物流の効率化は経済力の強化へと繋がり、資本力の強化へと進化する。
それだけではない。内海化の結果、大日本帝国がシーパワー国家からシー&ランドパワー国家へと変貌することさえあり得るのだ。
大陸の安全地帯で産する軍備が太平洋へと奔流する、もしくは高度発展した日本本土から軍事力が大陸へと奔流する。つまり、超大国化という懸念がそこにはあった。
「我が帝国に領土的野心は一切ありません……満州侵攻はあくまで保障占領の延長に過ぎません。国際的に認められた我が帝国の権益を守るための行動、それを担保するための予防戦争に過ぎないのです」
東條はそこだけは明言した。ここが重要なのだ。史実ではこれをリットン調査団が認めていたにもかかわらず、自国の都合と面子にこだわったことで10年後の敗北を引き寄せたのだ。文字通り、二兎追う者は一兎も得ずであった。
だからこそ、一貫した理由付けをすることで無駄な理屈を廃し目的を達する言い回しをしたのである。
「予防戦争……ふむ……なるほど……良かろう理屈は通っておるな……我が大英帝国も国益を権益を守るためには武力行使を辞さない……日本帝国の考えはよくわかった」
「では……」
「我が大英帝国は日本帝国の権益を守るための予防戦争については容認しよう……だが、長城から先は認めん……そのために秦皇島に1個旅団の派兵を行う……遼河油田についてはいくつかの地区の採掘権と営口に特別租界設置を求めたい」
チャーチルの要求は駐英大使館での秘密交渉よりも一歩踏み込んだものであり、同時に欲張ったものであった。




