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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2588年(1928年)

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好循環と悪循環はコインの表裏

皇紀2588年(1928年) 10月13日 満州


 大日本帝国による満州侵攻が開始されて2ヶ月。


 大日本帝国は南満州の確保に成功、山海関を抑えて北支からの平地ルートを遮断し、山越えルートに兵站線を絞ることで北京北洋政府及び張軍閥に圧迫を続けていた。


 また、東満州の平定も継続し、佳木斯-牡丹江-吉林-長春-通遼-錦州-山海関までの線を9月末の時点で確保した。


 これにより、ハバロフスク-イマン-虎頭-牡丹江、牡丹江-佳木斯、牡丹江-間島、長春-吉林-間島-上三峰-図們-雄基-羅津、ウラジオストク-綏芬河-牡丹江、吉林-梅河口-奉天、四平-梅河口、四平-鄭家屯-通遼-大虎山、奉天-大虎山-錦県-山海関の各鉄道路線を運用可能となったのである。


 これは満州を経営する上で非常に重要な線路であった。


 旅順-大連-鞍山-奉天-長春を結ぶ満鉄本線、奉天-安東を結ぶ安東線に接続することで、満州における占領地が日本本土と直結したからである。


 正統ロシア帝国(沿海州)のウラジオストク、ナホトカ、朝鮮総督府の雄基、釜山、仁川、関東庁の大連、旅順と各方面から陸揚げされた資材や物資が次々と占領地に送ることが出来るようになったことは各方面の戦力や物資を転用することが出来ることを意味し、迅速な攻勢準備を可能としたのである。


 また、日本本土から豊富に送られる物資は何も軍需品だけではない。満州では不足しがちな甘味や工業製品が供給されていたのだ。これらの流通はそのまま従来の満州経済を完全に破壊し、環日本海経済圏へ吸収されることを意味していた。


 自給自足、地産地消に近かった満州経済では、地域経済=軍閥の力の源泉であったが、豊富な物品の流入により滞留していた富を吸い取られ、同時に農産品の地域外出荷によって商取引は活発化したのであった。


 特に南満州鉄道系の企業が占領地に進出し利益を上げるとともに、朝鮮半島から国境を越え流入した朝鮮人は手段を問わない商売を行い、先行する満鉄系企業や本土系企業だけでなく現地民の憎悪を買い焼き討ちや打ちこわしに遭うことが頻発していた。


 無論、この事態を座視する憲兵ではなく、阿漕な商売をする輩を片っ端から摘発し、貴重な労働力として鉄道建設に駆り出し沿海州-東満州-南満州の往来強化に役立てたのである。


 朝鮮総督府は事態を重く見ていたが、本国の朝鮮人本土渡航禁止による余剰人口・失業率の上昇によって彼らの脱半島を食い止めることは難しかった。


 結果、占領地に流れた朝鮮人は犯罪紛いの商売に手を染め、現地住民の反感を買い、摘発され強制労働に駆り出されるという循環が成立してしまったのである。そういう意味では帝国政府と帝国陸軍にとっての好循環は朝鮮人と満州人にとっては悪循環であったのだ。

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