再び欧州へ
皇紀2588年 9月17日 帝都東京
陸海軍の仲の悪さは維新後のゴタゴタに起源を遡る。だが、当初の「陸の長州、海の薩摩」は今は昔。その名残はあると言えども、陸軍中央も海軍中央も既に非薩長系が要職を占めている。いや、旧幕府、旧奥羽諸藩系だと言っても良かった。
中には同郷のよしみで陸海軍の垣根を越えて付き合いがあるものも多かったが、それはそれ、官庁というものは我田引水をしたがる性質がある。それは今に至ってはより酷くなっていると言っても良い。
鉄道省は列島改造によって物流を牛耳ることに成功した。内航船の役割すら奪う勢いでシェアを伸ばしていることもあり、国内企業の多くは鉄道省に荷物を預け輸送を委託している。これによって鉄道省の産業界への影響力伸長はそのまま商工省や大蔵省の縄張りにまで浸食することとなり、激しい対立を産み出していた。
陸軍省は東條英機が技術者や大学の研究者たちにパイプを持つことで技術開発に大きく影響を与える様になっていた。無線技術、電探技術、冶金技術、発動機へと革新技術を抑えにかかっていることで陸軍御用達の看板を得るために陸軍技術本部には全国から技術者が日々訪れている。
海軍省は大角岑生によって造船業界への梃入れがあったことで神戸川崎財閥の中核である川崎造船所、国際汽船、鈴木商店と関わりの深い神戸製鋼所など造船・鉄鋼メーカーに大きな影響力を発揮し、支援した川崎造船所には平賀譲の設計した共通規格型タンカー、鉱石輸送船の建造を推進させつつあった。また、MEKOシステムの試験としてモジュールによる装備変更パターンをいくつか用意した貨物船を川崎造船所によって建造させていた。これは主に内航船向けに行われていた。
一方縄張りを荒らされていた商工省や大蔵省は革新官僚による結びつきを強め、経済政策の方向性の違いはあっても浸食された縄張りの奪還を狙っていた。
そこに新たな満州における油田、鉱物資源という新たな草刈り場が出来たことによって明らかに各勢力の均衡は崩れつつあった。
そして……。
「総理、宜しいでしょうか?」
有坂総一郎は陸海軍が一応の妥結を見て議題を本題に戻すべく口を挟んだ。
「何かね?」
「英国からの申し出は恐らく米国にも漏れているものと考えて対応するべきと申し上げたい。仮に英国と妥結したとしても米国が口を挟んでくるものと考えて行動せねば足元を掬われますぞ」
総一郎は苦言を呈する。
外務省の暗号公電が解読され筒抜けであったのは何も大東亜戦争前夜からではない。それ以前から筒抜けであり、相手にこちらの手の内がほぼバレていたのだ。
それだけでなく、史実の軍縮条約での譲歩ラインもバレていたことから終始英米のペースだったのは有名な話だ。
「この件は一切を駐英大使に委任し、本国外務省との通信を禁じ、ロンドンでのみ交渉するべきと考えます。秘密協定が秘密になっていなければ意味がないのですから……そうですね、次期駐英大使の呼び声高い松平恒雄氏に特命全権大使として赴任していただき、交渉を一任しては如何でしょうか?」
総一郎の提案に一同はざわつく。
「外交は政府の権能だ。口出しをすべきものではない。とは言っても、有坂君の言うことは尤もだ……過去の事例から考えて暗号電は解読されていると考えるべきかもしれん……」
外務大臣森恪は苦言を呈するが、総一郎の提案そのものには否定をしなかった。
「では、どうだろうか、満鉄から人を出させて現状の説明役として随行させては? そうであれば必要な時に補足説明や切り抜けるのに役立つのではないかね?」
「いやだが、それでは政府としての主体性がないと思われるのではないのか?」
「そうは言うが、満州油田についての情報を握っているのは満鉄と有坂くんくらいなものだろう? 我らは知らされただけで詳しいことを知らなすぎる……要らぬことを言って言質を与えかねんぞ?」
閣僚たちはそれぞれに意見を述べる。だが、決定打に欠けていた。
「では、この不肖有坂総一郎も随行しましょう……出来ましたら、陸軍と海軍からの随行員を一名ずつ出していただけると……陸軍は東條英機大佐、海軍は豊田貞次郎大佐が適当かと考えます」
総一郎はここぞと二人を推した。
東條は盟友として、豊田は史実で産業に開明的な視野を持っていたからである。
「陸軍としては異存はない。だが、奴は第一連隊長になったばかり……他にも適当な人材がいるのではないのか?」
「いえ、東條大佐でなくてはならないのです。また、海軍も豊田大佐である必要があります。お二人にはそれぞれ担って頂くべき仕事があるからです。これは我が有坂コンツェルンから請け負っていただきたい仕事の適任者であるという面もあるからです」
宇垣の言葉に総一郎は答え、大角にも同意するように迫る。
「豊田大佐は先日帰朝したばかりだが……まぁ、洋行帰りで向こうの事情に詳しいであろうから適任だろう……これは貸しにしておく、必ず返してもらうぞ」
大角はそう言うと興味を失ったかのように黙りこくった。
高橋是清内閣
総理大臣 高橋是清 子爵 立憲大政会
大蔵大臣 濱口雄幸 立憲大政会
外務大臣 森恪 立憲大政会
内務大臣 後藤新平 立憲大政会
陸軍大臣 宇垣一成 陸軍大将
海軍大臣 大角岑生 海軍中将
司法大臣 小川平吉 立憲大政会
文部大臣 水野錬太郎 立憲大政会
商工大臣 高橋是清 子爵 立憲大政会
農林大臣 町田忠治 立憲大政会
逓信大臣 久原房之助 立憲大政会
鉄道大臣 仙石貢 立憲大政会
参考人
南満州鉄道 山本条太郎
有坂コンツェルン 有坂総一郎




