分捕り合戦
皇紀2588年 9月17日 帝都東京
海軍からの無茶苦茶な提案によって会議は放物線を描き明後日の方向へ吹っ飛んでいった。
油田の監督権と優先権を欲する海軍省、海軍の増長を認めがたい大蔵省、同じく油田を確保したい陸軍省、満州における権益確保こそ国益と考える商工省、重油でも軽油でもガソリンでも液体燃料が手に入れば満足の鉄道省、農業近代化を望みそのためには安定した燃料確保を考えている農林省……それぞれの立場が交錯する中で陸軍大臣宇垣一成と海軍大臣大角岑生の対立は必至だっただろう。
海軍艦艇の近代化に伴い石炭炊きから重油炊きへと改装され、重油の消費量は右肩上がりである海軍にとって自分たちが監督し優先権がある油田の確保は是が非でも成し遂げるべきものだった。
だが、それは今この会議によってはじめて非公式であるが事実として認められたものである。つまり、海軍全体の意思ではないのだ。だが、海軍の意思など聞かずともわかりきっている答えである。
同様に陸軍は関東軍を経由してある程度は情報を仕入れていたことで存在そのものは把握していた。それだけに海軍に監督権や優先権を持って行かれるのは実情から理解出来ても感情では認めがたかった。
「この油田だが、暫くは満鉄や有坂コンツェルンに任せては? ここで行政官庁が口を出すのでは侵略だと誹りを受けかねない。であれば、私企業が独自で動いていて、それを帝国政府が購入したという体裁にしておいて、大本営政府連絡会議において得られた重油、ガソリン、軽油などの燃料の分配を行うということでどうだろうか?」
総理大臣高橋是清は妥協案として陸海軍が分捕り合戦をリング外でやらかすのを阻止するために政府の目が届くところに置こうと提案した。
「海軍としては総理の提案には反対である。それでは海軍は満足に艦艇を動かすことが出来ない可能性がある。毎時数百トンの重油を消費する海軍としては油田そのものをいただきたい」
「では、どうだろうか、暫定提案だが、政府に入った重油については海軍が優先権を得る。代わりにガソリン、軽油などは陸軍に優先権を得る。陸軍は重油があっても仕方がないのですから、それで手を打ってはどうだろうか?」
海軍大臣大角岑生が異を唱えると満鉄総裁山本条太郎がすかさず代案を提示する。
「それでは比率的に陸軍の分が悪いではないか! ならば、他の戦略資源の配分をこちらに回してもらわねば承服出来かねる。最低でも鉄の配分を考えて欲しい」
「確かにそうだね……では、鉄の配分を考慮することにしよう」
高橋は山本の提案に対する宇垣の補正要求を認めた。
「いや、それでは艦艇の建造や改装に支障が出る。そのようなことは断じて認められない」
陸軍大臣宇垣一成の反発に大角も再び抵抗を示す。
「海軍はこの事変では脇役でしかないだろう。それだというのに、鉄も寄越せ、油も寄越せでは誰も納得せん! 我々鉄道省は八八艦隊のおかげで満足に車両を製造出来ず割を食ってきただけに陸軍の主張に同意する。 蔵相、あなたはどう考える!」
鉄道大臣仙石貢は大蔵大臣濱口雄幸に話を振る。
蚊帳の外の閣僚もいる中で、仙石は今まで黙っていたが流石にここまでの暴挙に耐えかね陸軍に同意する姿勢を明らかにした。
彼が姿勢を明確にしたことで閣僚の殆どがこれに頷き、反海軍包囲網が出来上がった。
「大角さん、私も殆どの閣僚と同じく陸軍の肩を持ちたい。折角、総理が妥協案を提示したというのに、それに不満を唱えるのであれば、海軍は帝国に対して反旗を翻した様なものだと思わんかね?」
「では、鉄を譲るが、代わりにニッケルとアルミに色を付けていただきましょう……ニッケルは装甲用の鋼材を製造するには必須ですからな」
「宇垣さん、どうですかな?」
「陸軍としてはそれで了としたいと考えます」
濱口の海軍朝敵論に怯んだ大角は妥協案を提示した。宇垣は苦渋ではあったがこれを認めた。海軍は鋼材と重油を欲し、陸軍は鋼材とガソリンを望んだ。妥協点は戦略資源であるニッケルだった。
「では、これで石油利権の配分に関しては妥結出来ましたな……今後は陸海軍協調して事変終結までよろしく頼みましたぞ」
高橋はやれやれといった表情で両者に握手を促した。
高橋是清内閣
総理大臣 高橋是清 子爵 立憲大政会
大蔵大臣 濱口雄幸 立憲大政会
外務大臣 森恪 立憲大政会
内務大臣 後藤新平 立憲大政会
陸軍大臣 宇垣一成 陸軍大将
海軍大臣 大角岑生 海軍中将
司法大臣 小川平吉 立憲大政会
文部大臣 水野錬太郎 立憲大政会
商工大臣 高橋是清 子爵 立憲大政会
農林大臣 町田忠治 立憲大政会
逓信大臣 久原房之助 立憲大政会
鉄道大臣 仙石貢 立憲大政会
参考人
南満州鉄道 山本条太郎
有坂コンツェルン 有坂総一郎




