両雄会談前夜
皇紀2582年9月1日 帝都東京
東條英機少佐は9月1日付で陸軍大学校の教官として赴任。井口省吾退役大将の口添えもあり、東條の担当教科は兵器となった。また、例の参謀本部の会議による影響もあり、兵站関係、兵器生産関係についても同時に教えることを命ぜられた。
――必要であるとは言え、まさかまたこの教壇に立つ日が来るとはな……。
史実においても彼は陸軍大学校で教官をしていた。1922年11月から28年3月までの約5年に渡ってその任についていた。その間に参謀本部員や歩兵学校の研究部員を兼務している。
――まずは来たるべき関東大震災に備える必要がある……。そして、大東亜戦争では戦争後半にいくつもの地震災害が帝国を襲った……昭和18年9月の鳥取地震、これを皮切りに次々と……翌19年12月は東南海地震、翌20年に1月には三河地震……これらによって戦わずして継戦能力を失ったことを考えると早く手を打たねばならない……。
――手始めに……12月に起こるであろう島原地震を元に警告を発するとしようか……それまでに地震対策を策定してそれを元に来年夏に防災演習を実施するように工作を行うとしようか……。そう言えば、岡村は小倉の第14連隊に居たな……これは使える。
東條の同志といえる岡村寧次少佐はこの時、小倉に駐屯する第14連隊の大隊長を務めていた。実際に地震災害で出動するであろう部隊は長崎県大村に駐屯する第46連隊あたりであろうと思われるが、情報の共有などで何らかの助けになるであろうと東條は考えていた。
――しかし、この短期間になさねばならんことが多いというのは堪えるな……。同志が必要だ。だが……。
東條には確かに同志が必要であった。しかし、彼の言わんとするところを理解出来る存在は現状皆無である。陸軍中央に味方はいない。
バーデン・バーデンの密約も実質的には形骸化しているため、永田鉄山、小畑敏四郎らもけっして味方とは言えない状態である。
――バーデン・バーデンのアレは勇み足だったか……。いや、あの段階で統帥権云々は闇に葬っておかねばならなかったのだ。あれは正しい選択だった。そうだ。あの選択をせねば、帝国は再びあの惨状に見舞われる……。
彼の経験から早急にフラグを叩き折らねばならなかったのだ。しかし、それが本来盟友となるべき存在、後ろ盾となる存在を消す結果になったのは東條の誤算であった。
――せめて永田の説得が出来ておれば……。
東條は悔やむが話は始まらない。
――まずは子飼いの腹心をつくなければならんな……そして統制派と同等に陸軍を統率出来る派閥の形成だ……。まずは将官の中で誰と組むかだ……それだけではない……資金源も必要だ。
東條は以前に有坂総一郎に注目していたことを思い出した。
――まずはあやつと繋がりを持とう。奴は既に陸軍中央に根を生やしている。うむ……これで行こう。
東條の腹は決まった。そうと決まれば早速動くに限るとばかりに電話の受話器を手に取った。
「交換台、有坂重工業に電話を繋ぎたまえ。あぁ、そうだ。社長の有坂氏に面会の申し込みだ」




