1928年世界情勢<5>
皇紀2588年 8月18日
史実と微妙に異なるが史実通りの部分が混在した非常に危うい均衡が欧州大陸を保っている。そんな中、本国だけで列強随一の国力を誇るアメリカはどうであっただろうか?
カルヴィン・クーリッジ大統領の治世下にあるアメリカ合衆国は大戦景気の後退、大恐慌の影が少しずつ忍び寄っていた。
既に自国経済だけでは賄いきれないほどの過剰生産状態に陥っていたアメリカは過剰在庫の処理を行うべく他国の競合企業を潰すべくダンピング攻勢をかけることで現金化を進めていた。当然、そんなことをされては大戦の戦禍からの復興に忙しい欧州各国からすれば迷惑そのものであり、自国産業を破壊するかのようなダンピングなど認めがたいものであった。
特に対米債務が重くのしかかっているフランスにしてみれば、二重に自国の富を奪われている様なものであった。そのしわ寄せは賠償金取り立てへ繋がるわけであるからアメリカ企業の自分たちさえ生き残れば良いと言わんばかりの事業展開によって独仏の関係悪化が煽られている様なものである。
中には再び戦争を望む声がないでもなかった。財界のそんな声はフランクリン・ルーズベルトの支持を大きくするものであり、ワシントン軍縮条約で最も強硬に譲歩を認めなかった彼に期待する声が上がるのは無理もなかった。
そんな死の商人たちの願いに頭を抱えつつ日々職務に励むクーリッジは次期大統領選に出馬しない意向を示し、後継者の指名もしなかった。そのため、共和党は本命候補なしの状態で選挙を迎えることとなった。
共和党全国大会は6月12日から15日まで、ミズーリ州カンザスシティで開催され、候補者選びの結果は次のようになった。
ハーバート・フーヴァー 837票
フランク・ローデン 74票
チャールズ・カーティス 64票
史実と同様のものであったが、クーリッジの強力な後押しもあり、有力な候補となり大統領本選に臨むこととなった。
彼の方針は明確だった。「どの鍋にも鶏1羽を、どのガレージにも車2台を!」というものであった。大戦景気によって成長したアメリカ経済を信じ、これからも繁栄を続け、やがて貧困がなくなるだろうという予測に沿ったスローガンだった。
ロンドンに代わって経済の中心となり、連日のように株価が上昇する日々がアメリカ国民を麻痺させていたのだ。




