革新官僚たちの宴<2>
皇紀2588年 8月18日 帝都東京
商工省、大蔵省をはじめとする主要官僚が顔を揃え乾杯の音頭を取ろうとしたその頃合いで鉄道省の一団が顔を出す。
「遅くなりましたかな」
佐藤栄作、鉄道省において最も政権に近く鉄道行政における機密を最も知る男だ。そして、この会合の主催者である岸信介の弟である。
「遅いぞ栄作。お前が来ぬから始めようと思っていたところだ」
「それは申し訳ない」
もっとも、これは打ち合わせ通りのシナリオであった。
官界で主導権を握るのは商工省や大蔵省であるが、史実と異なり、鉄道省もまた主導権を握っていたのだ。史実と比べて彼らの縄張りと影響力は格段に強大となっていた。
列島改造による弾丸列車構想だけでなく、在来線の改軌とそれに伴う高速化、貨物のコンテナ化による効率的な運輸体制構築など鉄道省によって行われている革命的事業は国内の物流に大きな影響を与えていたのだ。
これによって省庁改革によって農商務省から分離した農林省は実質的に鉄道省の従属化に置かれている。これは農産物の全国物流化が可能となったことによるもので、遠隔地への定時発送が可能となり、その結果販路拡大につながったからである。
当然、鉄道省はこれを農林省に貸しとして対応し、農林省もこれを受け入れざるを得なかったのだ。また、農林省は農村地帯、特に東北に農業近代化という名目で高規格農道を建設し、それを鉄道省によって土木機材貸し付けなどを受け実施したこともあり、ますます鉄道省に従属するようになっていったのだ。
無論、商工省はそれが面白くはない。
元々同じ釜の飯を食う仲であった農林省が鉄道省によって浸食されるのを黙って見ていたわけではなかった。だが、そこは鉄道省が上手であった。商工省から圧力があった際に貨物列車の一部を理由を付けて運休にしたのである。
その際に経済界は「鉄道省の機嫌を損ねると物流が止まる……今日送ったモノが明日には届くという物流に慣れてしまった昨今で物流が止まるなんて経営に影響が出る」と実感し、特に問屋、仲介業者などは戦慄したのである。
無論、それは農林省も同じであった。折角、農産品の販路拡大によって上向きかけてきた農家の収入にも大きく影響するだけに鉄道省の機嫌を損ねる真似はしたくなかったのだ。結果、商工省には経済界と農林省から鉄道省の機嫌を取るようにと陳情が殺到するという事態が発生したのである。
だが、膝を屈した商工省もただでは起きなかった。統制主義を唱える岸ら革新官僚はこれを前向きに捉えたのである。
「先日の貨物列車の一件は肝を冷やしたぞ。大蔵省からも法人からの税収にも影響するからと泣きつかれたからな」
岸はそう言うと佐藤に隣に座るように促す。
「それは仕方ありません。我が省の縄張り荒らしをするからです。ですが、これでお解りになったと思いますが、我が鉄道省、鉄道網の重要度が。一つ乱れるだけで我が帝国の経済が麻痺すると……」
佐藤はこの一件には関わってはいなかったが、彼なりに分析はしていた。それがどういう理由であっても、結果として帝国経済を麻痺させると。しかも、それが戦時経済においては許容出来ない事態を招くと……。
「だが、逆に言えば、国家によって経済を統制することが出来る、要不要によってダイヤ改正を行うことで重要度別に運行させることで統制経済を効率よく回すことが出来るという証明であったかと思う」
「確かに……ですが、それでは自由経済の我が国の健全な成長には足枷になるかと……」
「栄作よ、そうも言っておられん……現に我が帝国の自動車の普及状況を見よ、乗用車に限ってみればほぼ9割が外資だ。フォードが6割、GMが3割、ベンツが1割……最近はベンツ……有坂の売り上げが伸びているらしいが……そういう状況だ。これを見てわかるように保護と統制を図らねばいつまで経っても我が国の自動車産業は成長せん」
岸は自動車産業を例えに出す。
「しかし、フォードやGMの自動車輸送は我が鉄道省の大きな収入源……それを保護統制するから減便せよというのは認めがたいものかと……」
「だからこそ、省線の近くに日本資本の自動車工場を増やして、それの輸送で補えばよいのではないか? であれば、旅客輸送も増えるであろう?」
岸の提案は鉄道経営の基本であるだけに否定は出来ない。だが、それは恒久的に利益を出してくれる工場であり、恒久的に通勤客を運べるという前提であるが……。
「ですが、そもそも、我が国の自動車産業はまだヨチヨチ歩き……外資を潰すほどの力がありませんよ」
「であれば、法整備で徐々に外資を締め出す方向にすればよい。最初は合弁でも何でも構わんさ、ホレ、有坂のところがダイムラーとベンツが合併するときに捻じ込んでいただろう? アレみたいにして、あとは保護法制を作って最終的には追い出す……」
岸は史実における自動車製造事業法をこの世界でも実施せんと考えていたのだ。
自動車製造事業法は許可対象を日本資本の企業に絞り、株主・取締役・資本金の半数以上、議決権の過半数が大日本帝国臣民か内国法人に属することを要件としたもので、実質的に日本国内での自動車製造に外国企業の参加を不可能にするものだった。
無論、この法案が施行されるまでにフォードは工場の拡大などを行い既得権を主張する腹であったが、附則に遡及期限を付けることでフォードの目論見をも挫くという徹底ぶりであった。
だが、これはただ保護するだけにあらずして、生産目標が示され、それを達成することが求められていた。
「ですが、それは経済界が許しますかね……」
「許すか許さないではない。自国産業の育成を行うことも国力の増強に必要であり、国防上も必要なことである」
それまで黙っていた永田鉄山大佐が割り込む。
「だが、自動車産業の育成はそうは容易ではない。永田さんの言うことは正しいし必要ではあるが……エンジン一つまともに開発出来ない我が帝国の国力では時期尚早であるとは思いますが、列席各位は如何に?」
賀屋興宣はそう言うと佐藤に視線を向ける。
「私も賀屋さんと同じ考えです……もし望まれるならば、帝大などの技術者を巻き込んでの国家事業として共通規格の大馬力エンジンの開発を進めるべきでしょう……出来れば、ディーゼルで」
検討の結果、東條英機の発言を大蔵省の賀屋興宣の発言に変更。
東條はこの場にいない設定に……。賀屋興や星野直樹などがリードする形の方が今後も良いだろうと方向性を修正。




