敵が置いていったんだ、貰っておこうじゃないか
皇紀2588年 8月12日 帝都東京
浦塩派遣軍、朝鮮軍の作戦行動は迅速に進み、北満州は佳木斯、牡丹江、間島(延吉)を結ぶ線より東側を抑え、鉄道連隊によるイマン-虎頭間の仮設鉄橋建設を8月中には終わらせ、イマン-虎頭-東安-牡丹江を10月中には簡易規格ではあるが標準軌で敷設を完了させる見込みとなっている。
本土鉄道省から応援を呼ぶことで牡丹江-佳木斯にも簡易規格での標準軌路線を敷設し、これも10月をめどに完成を見込んでいる。
占領任務にあたっている各師団もハルピン方面への転戦を準備しているが、本国からの占領地拡大中止命令によって確保した地区の占領強化と慰撫を優先することとなった。
何故、北部満州における占領地拡大ではなく、占領地経営を優先させたのか、それには理由があった。奉天が陥落、奉天省政府が奉天軍閥に代わって降伏した翌9日のことである。
「張学良の行方が未だ掴めぬ。アレには数万の兵をハイラル方面に投入していたことは掴めているが、その兵も分散してハルピン、長春に向かっているという報告があったが、肝心の大将がどこにいるのか、雲隠れしおった」
関東軍司令官武藤信義大将は臨時司令部である奉天ヤマトホテルにおいて当面の作戦行動と転戦すべき戦力についての会議を主催していた。
各方面における敵情は航空偵察や各地に潜んでいるA機関の諜報員による報告でおおよそ掴んでいた。だが、張学良の行方だけが掴めていなかったのだ。
「A機関の報告ではチチハルから移動したという情報は入っていたが、その後の行方が白城子から先が掴めていない。どうやら潜入していた諜報員が始末された様だ」
「困りましたな……奴を捕まえないことには田中閣下の行方も把握出来ません、そもそも張作霖の生死も未だ不明なまま……」
その時である。
「閣下、満鉄からダイヤ情報にない列車が大虎山から山海関方面に走行していると連絡が来ています」
「それだ! それが張学良の列車だ!」
「そうに違いない!」
「その列車を追撃し、線路を爆撃して立ち往生させるのだ!」
「石原に飛行機を出すよう命じろ!」
「いえ、それが同じく不審な列車が通遼に向けて北上しているという情報も……」
「欺瞞工作か! 奴は特別列車を走らせておっただろう! 特徴でわからぬのか!」
「それが……その特別列車は大虎山で放置されていると……」
「なんてこった!」
参謀たちは矢継ぎ早に伝令将校に質問攻めをするが、肝心の情報は最後に出てきた。
常識的に考えれば奉山線を走る列車が本命だと思える。だが、それこそが囮であり、一旦北上し、馬に乗り換えて熱河省を越えて北京に戻るとも考えられたのだ。
馬に乗り換えられると非常に厄介なことになると参謀たちは考えていた。広大な満州の大地だ。隠れるところはどこにでもある。遊牧民のゲルを一つずつ調べるわけにはいかない。
「本命は……恐らく、奉山線だろう。であれば、我らは囮に食いついてやろうではないか」
武藤は静かにそう言った。
「しかし、閣下、それではみすみす見逃すことに……」
「そうです。であれば、山海関を越えられる前に確保すべきでしょう」
参謀たちは反対意見を述べるが、武藤は首を振った。
「奴が満州をくれてやると言っているのだ。ありがたく我らは満州を平定しようじゃないか。それに、忘れてもらっては困るが、我々は張学良の首を望んでいるわけではない。満州権益の保全である。そして、田中閣下の行方を探ること。であれば、為すべきことは、この満州を平定することだ」
「では、閣下、山海関を早いうちに抑えて張学良の反攻に備えるべきでしょう……」
「あぁ、そうだな。朝鮮軍に伝達、第19師団に山海関に向けて進軍させよ。各都市を解放して山海関を確保した後は死守せよと命ずるように」




