霧に包まれた大地
皇紀2588年 8月8日 大英帝国 ロンドン
「大日本帝国、満州に介入」
「日本陸軍、奉天を包囲、陥落は時間の問題」
「ソ連軍、ハイラル要塞に増援を送るか?」
「大英帝国政府は事態を静観の方針」
大英帝国の各新聞は満州における事変発生に対して目立って反発する様子は見せていなかった。
自国の特使の消息が不明であること、張学良側の対応のまずさ、日本側の独自捜査によってソ連の関与が明らかになったこと、これらによって大英帝国の世論も日本に同情的だったのだ。
いや、どちらかと言えば、日本側の重い腰に苛立ちを感じていたこともあり、高橋是清内閣が重い腰を上げ自国民と自国権益の保護を名分に介入したことを歓迎していた。
――世論を煽った甲斐があったというもの。全く、チャイナにおける共同歩調を維持させんがための対日印象操作には骨を折った……。全く、連中と来たら毒ガス攻撃に焼夷弾攻撃で徹底的な掃滅なんてことやらかしたもんだからイエローモンキーどころかイエローデーモンなんて呼ばれるようになって警戒する向きが増えて苦労させられた……。
執務室で新聞を読み比べながら各社の論調が日英同盟以来の好意的なものになっていることに達成感を感じ美味そうに紫煙を燻らす男がいた。大蔵大臣ウィンストン・チャーチルである。
彼はこの数年続く支那大陸における動乱におけるタカ派の首領であり、支那討伐という実績によって保守党内での立場を固めることに成功していた。
それもこれも日本側が史実と異なり、幣原外交という列強にあるまじき外交政策を採ったそれではなく、列強としての立場を堅持し、それに相応しい対外政策を実施したことで日英間の関係が良好であることによるものだ。
史実ではこの時期に日英間の距離が微妙になりだしていたが、有坂コンツェルンや中島飛行機を中心とした経済界の活発な交流と技術導入による資本の移動があることで外交関係もすこぶる好調であった。
また、史実では流産となったジュネーヴ軍縮会議も日英の協調によってワシントン条約で割を食った大英帝国にとっては対米比率の改善につながったことで政治的にも信用関係が構築されていたのだ。
そして、極めつけが支那における北伐やタングステンショックへの日本側の毅然とした対応と大英帝国の行動への協力だった。
――東京の大使館、そして長崎、ウラジオストク、大連の総領事館からの情報では、今日本が動かせる外征戦力のほぼすべてを投入しているという……。無論、これは東京は公式に認めんだろうが……。
新聞を横にやり、引き出しから諜報資料を取り出すと目を通す。本来、この手の情報は外務大臣のオースティン・チェンバレンに届くものだ。いや、彼にも届いてはいるが、同様のモノがチャーチルの元にも届いているのだ。
これは外務省ではなく、海軍省などから極秘に手に入れている資料である。よって、外務省の情報にはないものが多く含まれている。
――大連近郊で列車砲が数編成まとめて待機していた……? 妙な動きだな……。1編成でも連隊単位の人員が必要だというのにそれが数編成も?
彼も欧州大戦では海軍大臣や戦争大臣として軍を指揮していた。
ゆえに列車砲の情報も入ってくる。無論、自軍が運用しているモノについても知識はある。だが、列車砲は決戦兵器としては非常に有効なものだが、その運用は非常に難しく、運用人員も多数必要であることからここぞという決戦にこそ用いるモノという認識であった。
――一体、満州では何が起きているのだろうか?
だが、開戦前の戦力情報だけでは流石に読み取れなかった。ただ、そこにある戦力の情報には気になる点が多くあった。だが、それも欧州大戦という塹壕戦という経験が邪魔をしてチャーチルには現時点ではそれがどういう意味を持つものか理解していなかった。




