参謀本部
皇紀2588年 7月28日 帝都東京
遂に帝国政府は重い腰を上げるに至った。帝国政府は田中義一特使と張作霖の消息不明、北洋政府とソ連の交戦という状況に対して満州への侵攻を秘密決定した。
あくまで、表面的には関東軍による満鉄附属地への展開と奉天近郊の捜索、邦人保護が目的であり、日本と支那との間に結ばれた諸条約、諸協定に基づく軍事行動であると表明することとなったのだ。
一つの決断であった。高橋是清内閣は昨今連続して発生している支那における諸問題を鑑み、放置することは帝国の存立、朝鮮、満州の確保に重大な影響を与えかねないと奏上することで天皇を説得することとなった。
天皇は「そうか」とだけ返答し、高橋は「自身の内閣の責任において解決する」と確約し、兵権の委託を受けた。
既に関東軍の一部は奉天や長春へ大隊規模の部隊を送り込み満鉄附属地の警戒配備を完了していたが、あくまでそれは現地部隊の権限内での行動でしかなく、大規模な行動は未だ行われていなかった。
だが……。
「既に関東軍主力は奉天方面への侵攻の準備が完了しており、装甲列車、機甲師団を先頭に雪崩れ込む予定です。また、浦塩派遣軍に増派した第8師団も即応状態であり、第2師団はハバロフスク、第13師団もブラゴベシチェンスクから北部満州に侵攻可能となっております」
「朝鮮軍はどうだ?」
「第19師団が新義州、第20師団は上三峰からそれぞれ侵攻の手筈が整っております。いずれも戦車と装甲車による電撃戦を敢行するとのこと……また、朝鮮軍に援軍として第12師団、第18師団の派兵が準備中であり、一両日中には門司港から出港、8月1日に安東に上陸を予定しております」
参謀本部の作戦室に広げられた戦域地図には各軍の駒が配置され、それぞれの行動が記され、一目で見える様になっていた。
連日、参謀本部では図上演習が繰り返され、関東軍の測量部隊による現地の情報がもたらされてからは侵攻速度や補給の状態なども加味され繰り返し問題点を洗い出すとともに各決戦予定地への戦力投入と物資の集積、敵戦力の展開を可能な限りパターン化し、それに合わせた統合作戦指導を可能としていたのだ。
「しかし、部隊間通信が容易になったことは敵の動きを察知すると同時に行動を起こせるという優位性を確保出来たといえる」
「いや、東條らの進言で構築したC3Iというものがこれほど戦域全体を把握するのに役立つとは思わなかった……」
「統制指揮だけでなく、通信と諜報を融合させて総司令部がそれら情報を把握、それに基づく判断を行うという当たり前と言えば当たり前のものだが、部隊個別ではなく戦域全体でそれを行うのは無線電信の活用なくして出来ない……まして索敵情報だけでなく、諜報機関から上がってくる情報もここで把握出来るのだから恐ろしいものだ」
「敵がどこでどういう動きをしたか、それに味方がどう動いたか、他の部隊をどう動かすか、それを本土にいながら判断することが出来るのは非常に大きな優位性だろう……現地の連中が心置きなく戦えるのは士気にも関わるからな……後ろを気にしながらでは我が精鋭皇軍と言えど実力を発揮出来んだろう」
参謀本部作戦室に詰めている並み居る将校たちは揃って戦争がデジタルに変わったことを感じ取っている。
今までであれば、斥候が手に入れた情報すら現地軍司令部、師団司令部などが把握した状況では手遅れになっていることもあった。
だが、今は斥候が無線機を携帯し、適宜交信することでリアルタイムに前線司令部が把握出来るようになった。これによって、奇襲をかけようと隠密行動している部隊に対しての有効な待ち伏せ攻撃すら可能になっている。
無論、それだけでなく、砲兵部隊による支援攻撃にもそれは応用され、より精密な砲撃が可能となっている。前進斥候部隊の重要性はますます上がっていた。
「斥候だけでなく、特務機関などからの定時連絡も前線司令部が把握出来ることは大きい……」
「いまや、我が皇軍は戦場を見ずとも支配している様なものではないか……ふはははは……これで負けるなど有り得んことではないか」
参謀たちには勝ち戦と楽観視する者すら出ていた。
「皆、冷静になって欲しい。無線通信によって戦場の霧が晴れたような状態であっても、敵の頭の中が読めたわけではない。敵だとて馬鹿ではないのだ。謀略の一つや二つ仕掛けてくるだろう。そこを冷静に見極めて指示を出してやるのが我らの仕事……」
永田鉄山大佐は浮ついた将校たちに向かって一喝した。
所詮は満州の情勢が手に取るようにわかっているだけで、ソ連本土や華北などの情勢がわかっているわけではない。戒めるべき時は戒めると彼の表情は物語っている。
「荒木部長、敵を侮らずに大胆不敵に殲滅してやりましょうぞ」
永田の言葉に作戦部長荒木貞夫中将は頷く。
「精強皇軍の名に恥じぬ戦を期待しておる……」




